夜明けまで疾走

























「……どうしよう」


ほんのすこし呟いただけなのに、イザークは没頭していた(っぽい)本から顔を上げた。
そんなに声が大きかっただろうか。それともイザークは仮令小さくても俺の声に反応してくれるんだろうかってバカか俺は。


「どうした」


優しい声に俯いてしまう。
ああ本当に、どうしてこんな時ばかりそんな声で。


「…………どうしよう」
「だから、どうした」
「うん……どうしよう」


イザークが困ってるのが判った。けどどうしよう、俺の方が困ってる。イザークがそうして優しげにすればするほど、余計に。
俺がそのまま動きも喋りもしないからか、そっとイザークが近寄ってきて、項垂れた俺の前髪をかきあげた。けど、そう、だからそれが困るんだってば。


「纏まってなくても良いから云ってみろ。吐き出すことで解決するかも知れんぞ?」


イザークは俺の悩みには全く思い至っていないようだ。けどそれで良い、と俺は安心する。安心した端から、どこかがっかりするような気持ちが広がってくる。感情がコントロールできない。こんなのは俺じゃない。


「別に……言葉にすれば、簡単なことなんだ」
「なんだ、じゃあ何をそんなに暗い声を出して」
「うん」


心配、してくれているのは判る。自分でも随分どんよりとした声が出たものだと思った。イザークが身をかがめて、俺を覗き込もうとしているのが気配で判った。だから、俺はこんな顔を見られるわけにはいかなくて


「こいを……」
「は?」
「恋を、した」
「……は?」
「どうしよう……好きな人が、できたんだ」


恐る恐る下から覗き込むと、あんぐりと口を開けたイザークと目が合った。いや、正確にはイザークは俺を見てはいるが焦点が定まっていないので、目が合ったという表現は違うのかも知れない。けれどイザークの薄氷のような瞳に、びくついたような表情の俺が映っているが見て取れた。















それから数秒。いや、もしかしたら数分かも。
長いこと二人黙ったままだった。
俺は俺で云った科白に更に怖くなって何も喋れないでいたし、イザークは俺の返答が意外だったのか固まったままだ。俺はそっと俯いた。そうすることで漸く、イザークからも布擦れの音がする。


「……そう、か」
「うん」


それだけ。頷き合って、更に数刻。一体俺たちは何をやってるんだろう。


「……それで、」
「うん」
「何故そんなに落ち込む必要があるんだ?」
「……叶うわけがない」
「なんで」
「なんでも」


俺は俯いたままで、イザークの表情は見ていなかった。ただ声はさっきまでの優しげなものとはすこし違い、どこか固い。そんなに俺の恋は、そしてその恋を打ち明けたことは、イザークにとって予想外なのだろうか。


「……当たって、砕けろ?」
「……そんな。もう生きていけないよ」
「そんなにか?」
「うん……」


固かったイザークの声に困惑が混じる。その困惑が何に起因するものか考えたくなくて、俺は気付けばだって、と口を開いていた。


「そうしたら、イザークとはもうこうやって喋れな「そんな奴止めて俺にしとけば良いのに」















「「……うん?」」


ふたりして首を傾げた。お互い右に傾けたものだから、向き合った体勢では見事に視線は合わなかった。


「……俺、もしかして今告白したか?」
「告白、と受け取って良いのなら」
「どうしよう、当たって砕け」
「てない」
「え?」
「砕けてない。受け止めてやる」
「え?」
「両思いだ」
「あれ?」


何がなんだか、全く謎だ。大体、イザークが俺の台詞を遮って何を云ったのか良く聞いてなかった。でもイザークは砕けてないと云う。当たって砕けろと云ったのはイザークなのに。
理不尽な気がして顔を上げると、存外に優しい顔をしたイザークが居る。だからなんだかもう、どうでも良かった。





何だこの恥ずかしい話は……