夜は潮騒が良く響く。 海辺のこの家に居る限り、夜の静寂とは無縁だった。 けれど闇の中でひとり布団を被っていると、良くない考えや記憶ばかり浮かんでくるからそれを遮ってくれる波の音はちょうど良い。 けれど、最近はその音にも大分慣れ、心地好いと感じつつあるから不安だった。 こんな時は、彼の存在が必要だ。 思い出の中で、一番綺麗な部分だけを切り取ったままの姿を体現してくれる、彼の存在が。 「アスランは……?」 キラが窓際に寄せた椅子に座り、闇の中に蠢く海を見つめながらそう呟くと、パジャマに着替えたこどもたちがわらわらとキラの周りに集まってきた。 この子たちは、昼間アスランに遊んでもらっていたはずだ。 「もう帰っちゃったの? 今日は泊まって行けるって云ってたのに」 キラの質問に、皆顔を見合わせて何かひそひそとやっている。誰が云うか牽制し合っているようだ。 そんな、こどもに気をつかわせるほど暗い表情でもしているのだろうか。そう思い、微笑もうとした瞬間、こどもたちの中で一番小さい女の子が口を開いた。 「アスランはねー、お人形さんに連れて行かれちゃったのよ」 「……お人形?」 「そう、お月様みたいな」 ……童話でも読んでもらったのだろうか? 首を傾げるキラに、今度はリーダー格の、この中では一番しっかりした子が、キラの膝に手をついた子を諌めながら答える。 「違うよ、バカ。アスランにお客さんが来たんだ」 「……客?」 「そう、お友達って云ってた」 「きれいなひと! アスランと同じくらい」 次々に口を開く子たち。みんなくすくすと笑っていて、そのときの様子を思い出し今の会話を愉しんでいるみたいだった。 ……愉しい? どこが! 「友達……って、そう云ってたの?」 「そう! 裏の岩場から戻ったら、そのひとがドアの前に立ってたんだ。ちょっと怖い感じだったけど、アスランは平気だって」 「中に入るかって聞いたら、良いってさ」 「それでアスラン、わたしたちだけ中に入れて、話をしてくるって云ってまた外に出たの」 「それから戻ってこないけど」 「……どんなひとだった?」 「えーとね、きれいなひと!」 「お月様と同じ色してたよ」 「―――イザーク様ですわね」 いつの間にか傍らに立っていたラクスを、キラは睨むように見上げた。 こどもに人気のラクスに対し、いつもだったらこんなことをすればこどもたちが黙っちゃいないが、幸い見られていなかったようだ。と云うよりは、こどもたちがお喋りに夢中になっている所為か。 「あ、そう! そんな風に呼んでた」 「まぁ」 当たってしまいました、と白々しく驚いてみせるラクスに、苛々が募る。どうしてそんなに落ち着いていられるのか。 「まるでかぐや姫のようですわ」 「……ラクス?」 「キラ、気付きまして? 今夜の月は銀色でしてよ」 ラクスの言葉に釣られて、窓の外を見遣る。けれどその窓からは月は見えなかった。 「アスランは良く月を見上げてらっしゃいました。その色を見ていたのか、そこにある思い出を見ていたのかは存じ上げませんけれど」 「ラクスッ……」 「キラには見えないのですね。だから連れて行かれてしまったのでしょうか」 ラクスが何を云いたいのか、そんなことはどうでも良かった。 だって現に今アスランは居ない。泊まって行ってくれるって約束したのに。夜の闇から守ってくれるって約束したのに。 ……それより、月と交わした叶う宛のない約束の方が、大事だったとでも云うの? 「……取り返すよ」 「まぁ。では姫は自分からは戻ってこないのですね」 「ちょっと」 「さぁ皆さん、そろそろ寝ましょう。そうでなければ、魔王の怒りに触れてしまいますもの」 「何なにー? 新しいお話?」 「ラクスのお話だーいすき! 今日はどんなお話なの?」 「今日は御伽話ではないのです。現実のお話ですわ。怖いこわーいお話です」 きゃーっと愉しそうな悲鳴を上げて、寝室の方へと駆け回っていく。その後を追いかけるゆったりとしたラクスの歩調が、憎らしくてたまらなかった。 その足音が漸く遠退いてから、キラは再び窓を見上げる。 「……アスラン」 ねぇ、戻らないって誓ったのに。 あいつはもうとっくにアスランなんか忘れてしまったよって、僕は何度もそう云い聞かせたはずなのに。アスランは僕がそう云うまでもなく既に諦めたような眼をしていて、だから大丈夫だって、思ってたのに。 「姫は……取り返すのがセオリーだよね」 キラの呟きは、ひとりきりの夜の部屋にすっと溶けて消えた。 |