レリエル
















     白     が 翻り



ああ、漸く 迎えがきたのか。そんなことをふと思った。




















 















「Athrun! Trick or treat!!」
「……キラ、」
「Trick or traet?」
「……I'm scared. Happy Halloween.」


にこり。
キラは差し出されたキャンディーを手に屈託無く微笑んだ。
アスランの腕には、既にふたりのこどもがぶら下がっている。だからキラにキャンディーを渡すとき、アスランはすこし困った。それでもお構いなしにお菓子を強請るキラは可愛かったから、やっぱりアスランはいつもみたいに根負けして、ひとりのこどもを振り落としてまでキラの笑顔を選んだ。
もう贔屓、と云われても仕方が無い。キラに対してだけ甘いのなんて、疾うに自覚済みだ。
だから、キラがキャンディーを口に放り込み、空いた手でそのままアスランに飛びかかってきたときも、アスランは腕に残っていたもうひとりの子どもを引っ張り剥がして、キラを抱きしめてやった。
きゅう、と鳴いて、キラは大人しくなる。
キラに便乗しようと、背中から腰から色んなこどもがアスランにへばりついてきたが、アスランは全部無視した。そして何も意に介さぬふりで、力の抜けるキラを抱き止める。


「へへー、アスラン〜」
「ああ、何だ?」
「ねむぃぃぃ」
「まあ、今日は昼寝してないしな」
「寝て良い?」
「全然良い」


喋りながら、既に遠くの世界へ意識を飛ばしているキラは、しかし、アスランの袖口をしっかりと握っていた。だから仕方が無いんだ、ということにして、アスランは他のこどもを意識の外へ追い遣って、キラだけの相手をすることにする。


「……ねえ、アスランも、」
「うん?」
「一緒に寝よう?」


ぱたり。
袖は掴んだまま、キラはアスランの胸元へ突っ伏した。寝つきが早いのはキラの長所だ。それに今夜はまた随分と、穏やかな表情をしている。だからアスランは静かに微笑み、キラの身体を持ち上げた。


「……良いよ」


耳元で囁いた声は、何処か楽しい世界を羽ばたく君の元へ、きちんと届いただろうか。
きっとそんなことは無いだろうと思いながら、アスランはベッドへとキラを運んだ。


「Good night. 良い夢を。」


もう君が、冷たい風に吹かれることの無いように。キャンディーが君の笑顔を引き出す魔法の種だったなら、きっと僕は、それを欠かすことなどないだろう。
本日いちどきりの魔法は既に過ぎ去ってしまった。
余ったキャンディーを持て余しながら、アスランは窓辺の月を見上げる。


「……ねえキラ。今宵の月は綺麗だよ」


ジャック・オ・ランタンなんて無くても、きっと迷いはしないだろう。
キラのポケットへそっと、ニヤリ微笑むカボチャの絵が施されたキャンディーを入れてやる。そこに一体意味は在るのだろうかと思い、結局、ただの自己満足だということで落ち着いた。これで明日の朝、キラの笑顔が見られるという確証なんて何処にも無い。けれどアスランは、キャンディーのストックが切れてしまっていたらきっと取りに戻ってまで、キラの笑顔の可能性に賭けただろう。


(ああ寧ろ―――ランタンが必要なのは、俺の方か)


まるで、悪魔を騙し、地獄へ落ちることもできず、その光を頼りに永遠に夜道を彷徨いつづけた男のようだ。
アスランもまた、同じようにその禍々しいランタンを持ち、己の行いを棚に上げ、悪霊を追い払うことに躍起になっている。
馬鹿げている、と判断すべきは、一体誰か。
答えなど出したくも無い問答を裡で繰り返しながら、キラが穏やかな寝息を立てていることを確認し、部屋を出た。
夜風が身に凍みたが、それはアスランの心を逆に励ましてくれる。
いつの間にか他のこどもたちも大人しくなったようで、教会堂の敷地内はすっかり寝静まっていた。まるでひっそりと朽ち果てる廃墟のようだ。アスランは孤児院から聖堂を目指す道すがら、ぼんやりと月を見上げながら思った。










 















ギィィ、ガコ、ン










 





厭に耳につく音を立て、聖堂の扉を開く。重々しい扉の隙間から、まるで毒素のように淀んだ空気が逃げ出して行った。アスランはひととおり空気の循環が行なわれるのを確認してから、中へと足を踏み入れる。
カツン、カツン、歩く度、刺々しい靴音が壁に反響する。そこは神の支配する空間でありながら、ひどく神秘性に欠け、毒々しい気を放っていた。


「ああ確かに、良い晩だ」


まるでその気を我が物のように纏い、そして支配する声に、アスランは予想したこととは云え一瞬身を固くして、頭を擡げた。瞬間、視界に浮き出る白い影を睨みつける。


「……魔除けはしたはずだが」
「悪魔である貴様が魔除けだと? 笑わせるな」
「―――何をしに来た、イザーク」


彼は正面に掲げられた大きな十字架の、真後ろの窓に寄り掛かっていた。普段開けられることのないそのステンドグラスに、影がゆらゆらと揺れる。その完成された光景に、アスランはまるで彼が十字架の上に立っているかのような錯覚に酔った。
―――冒涜だ、と、思う。彼ではない。アスランの神へ対する、ひどい冒涜だ。


「俺の真名を知ったくらいで調子に乗るなよ、アスラン。貴様は既に俺のものだ」
「俺はそんなものに成り果てた記憶は無い」
「良く云う」


ク、と喉元を鳴らし、彼は嘲笑った。けれど馬鹿にされているわけでも無い、とアスランは思った。どちらかと云うとこれはそう、賞賛だろう。彼はその嘲笑いの中で、悪魔なりの価値観によってアスランを褒め称えている。


「貴様を人間と仮定してやるとしよう。だがそうすると、貴様は同族殺しだということになるな」
「ッ、それ、は……」
「戦争とは云え、数多の人間を顔色ひとつ変えず殺した貴様が神父の真似事をするなど。これほどの笑い話もあるまいよ」
「……悪魔のくせに白い翼を持った異端のお前よりは、ずっとマシだ」
「その異端の悪魔に呪いをかけられた人殺しの神父、やはり笑い事じゃないか」
「………」


彼の顔は月の逆光で見えなかったけれど、その冴え冴えしく彼を纏う色合いがキラリ煌めき、楽しげな気配をアスランへと伝えた。
何も云うまい、と思う。云えないのでは無く、云わないのだ。云い訳するような真似など―――しかも悪魔に対して―――在っては、ならない。


「折角、その美しい顔に見合う呪いをかけたやったと云うのに。貴様はまだ決心が付かないらしいな」
「―――決心など。俺は人間として死ぬんだ、そんなものは必要無い」
「いい加減判ってきただろう? アスラン、貴様にそれは叶わぬことだと」
「ッ……何故!」
「理由を問うか。それも良い」
「何故お前は俺を構う。俺はここで静かに懺悔をしているだけなのに」
「だがそんな貴様が、人へ赦しを与える。それで救われたような気になる信者も可哀想にな?」
「だが、それでも!」
「貴様が殺しまくった所為で戦争孤児となったこどもを引き取り育てたところで、貴様の罪が赦されるわけでもあるまい」
「ッ……そ、のことに、関して、は。俺の自己満足でしかないことくらい、判って、いる」
「なるほど。自覚が在るなら、早く此方へ来い。こっちの方がよほど、楽になれるぞ?」
「だから何度も云っているだろう。俺はそんなものに成り果ててなんかいない、と。楽になる気なんて更々無い」
「だが既に貴様は我が呪いを受けた。永遠の禍々しき命、と云うな」
「……そんなもの」
「信じない、と云うならそれも良い。だがいつか、貴様はこの俺の元へ来ることになる」
「ならない」
「なるさ」
「……大体お前、何しに来たんだ。わざわざ結界を破ってまで」
「以前貴様に招かれたから結界破りは然程難儀でも無いが。俺は、気に入った我が眷属に会いに来ただけだが?」
「―――白々しい」
「そう思うのならそれもまた良いがな」


彼は悪魔の名に似合わぬ白いマントをばさり、はためかせ、悪魔の名にあるまじき白い翼を羽ばたかせた。そして名残も何も無く、ただの言葉の余韻だけを残し、何処かへ飛び行く。
原罪のステンドグラスに映った影が、ひどく背徳的だ、と、アスランは凍える身体を抱きしめつつ思った。


……神よ
この罪、煉獄の焔に灼かれれば、浄化されるのだろうか。


(―――そんな ことは、)





アスランはその先の明言を放棄してそっと燭台の焔を吹き消し、空気の汚染された聖堂を出た。
冴え冴えしく異物を撥ね退ける夜風が、やはり心地良い、と。白き悪魔に塗り替えられた身を浸しながら、孤児院の窓から覗くキャンドルのライトを見遣った。


「キラ、」


救いの名を呼ぶ。


ねえ君に

(仮装させれば、悪魔も撥ね退けられると思ったんだけどなぁ)


君は今頃、あの暖かな光の中でお化けになろうと被ったシーツを握り締めているのだろう。
せめて今日くらいは
彼も、仮装した子どもたちに紛れて見逃してくれるだろうかと、思ったのに。
あの白に魅せられた己を、悪魔は見逃してはくれなかったらしい。


この罪が赦されると、そんなことは思わないけれど、
それでも君が笑っていられる未来を、僕は願う


……罪滅ぼしのつもりはないけれど、結局はそういうことなんだろう。
アスランは空を見上げ、視界の端を掠める白い影に、密かに安堵した。