ドオォォン、ドォ、ン、 地鳴りのような、獣の咆哮のような音がさっきからひっきりなしに響いている。 全くもって不思議だった。 それは正に破滅への序曲。だと云うのにそれは時折規則的にも聴こえたし(神経が参っている証拠だろうか)、何よりそんな狂想曲をこんな相手と共に鑑賞しているなどとは(これだから人生なんてどこでひっくり返るか判ったもんじゃない)。 「……やっぱりそうだ」 「まさか今さっき決着がついたばかりだと思っていた云い合いを繰り返す気じゃないだろうな貴様」 「まさかそんな」 まさか、そんな。 やっと大人しくなったと思ったこの男の怒鳴り声をどうしてまた聴きたいなどと思うものか。 つまり、アレだ。 「やっぱりあそこを右に曲がれば良かったんだよ」「俺が左だと云ったら貴様も納得しただろうが!」「きみが反論する隙を与えなかったんだろ」……云々。 結局、袋小路に陥ったこの事態でいくら過去を振り返ってみても何の解決にもならないと悟ったアスランが口を噤んだことで、一応の決着を見せた―――はずだった。 そう、云い合い、だたそれだけについて云うならば。 アスランが黙ったのは、イザークの大声の所為で脆くなった内壁にひびでも入りそうだ、と懼れたのもあるし、ここで体力を使い果たしてしまっては、もし何らかの突破口をが見つかったときに何も意味がないと思ったのもあるし、そもそもその突破口を見つけるには何よりも冷静にならなくてはならないと気付いたからでもあった。 中途半端な主張のまま黙り込んだアスランに対し、イザークもひとつため息をついただけで大人しくなったということは、きっと多分恐らくそんなアスランの思惑を読み取ってくれたのだろう―――と信じたい。 そう、何より信じることから始めよう。 何たってこの状況下では、イザークしか頼りになる者がいない―――そう、掛け替えの無い相棒なのだ。と考えてから思わず鳥肌が立ってしまった。 ぶる、と身震いしたアスランにそっとイザークが「……寒いか?」と訊いてくる。それにアスランは首を振ることだけで答えた。だって今の眼は、絶対アスランを馬鹿にしていた。やっぱり、さっきの云い合いに例えイザークがアスランの意図を汲んでくれていたとしても、どちらにせよ彼の中での勝利の座には彼の名が刻まれているのだろう。 ―――いや、そんなことはどうでも良い。 どうにも思考が乱立してしまっていけないが、とりあえず事態を整理するとして、ここは、まあ、素直に認めるとすれば、窮地、というやつなのだ。 「……危機一髪」 「寧ろ絶体絶命だ馬鹿が」 間髪居れずに返された呆れ声に、アスランは眼を丸くした。(ついでに口許は歪めてみた)(自分でも器用なもんだと、その神業に惚れ惚れした。) 「珍しいな」 「何が」 「イザークがそんな、負けを認めるようなことを云うなんて」 珍しい、と微かな笑みを混ぜつつ告げれば、イザークがギン、と擬態語でも聞こえてきそうな眼つきで睨んでくる。 「なら貴様、ここから抜け出す方法でも云ってみろ、今すぐ、十秒以内、十字以内で、だ」 「厳しいな」 「あと七秒」 「―――アカデミーに居た頃……あれ、何だったっけな……」 「俺の云うことはとりあえず完全無視だな貴様」 「不可能だし。それに、今は非常に不本意だが協力すべき場面だろう? ほら、俺に強制するだけじゃなくてイザークも考えろよ」 「俺だって不本意だ!!」 「いや、だからそれは良いから……えっと、何だっけ。ああ、アカデミーで……」 「この状況でマニュアルでも引っ張り出す気か貴様。云っておくが、その先にあるのはまずいデータを消去して後に潔く自決、それのみだからな」 「そうじゃない。アカデミーの何かの講義で……何かこんな状況にちょうど良い理論を習った気が……」 「ッ……ならうだうだしてないでさっさと思い出せ腰抜けがッ!」 「判ってるよ、大声出すなって」 「―――……で? 思い出したのか?」 「ほら、何かさ、時空がどうのこうのって」 「……ああ、で?」 眉を顰めつつも、僅かに期待している様子にイザークの顔をちらりと見たアスランは、ぽん、と軽快に手を叩いて、珍しく微笑んだ表情を見せた。 「―――瞬間移動でもできれば良いのにな?」 「〜〜〜……! 歯ァ食い縛れ貴様ァ!」 「だから大声出すなって……。ああ、俺もう少しあの単元掘り下げて研究すれば良かったな……」 「貴様という奴は……」 「何だよ、どうしたんだ、イザーク」 「もっと実現可能な! 現実的な解決法を探せ!!」 「判ってるよ……。でも現実的かはともかく、何にしろ実現可能かどうかは、」 「俺らの腕と度胸にかかっている。気にするな。何でもしてみせるさ」 何処だか判らない場所を見て(一応その視線を辿ってみたが、そこにはさきほど二人が怒りに任せて打ち壊したコンピューターの残骸があるだけだった)、何故だか黄昏てみせるイザークに、アスランはひょいと肩を竦めてみせた。 「どうでも良いけど、何でそんなに偉そうなんだお前」 「喧しい。良いから考えろ。俺も考える」 ふう、と呆れとも疲れともつかないため息を吐き、アスランはイザークから視線を外した。 二人の間から声がなくなれば、気にならなくなっていた破壊音が引きつづき意識に舞い戻って来る。 ドォォオ、ドォン、ドオォォン、 それは心なしかさきほどまでよりも近く、大きくなっているようで、いかに冷静さを徹底されるザフトの兵と云えど、焦りを抱かせるには充分な要素だった。 つい数十分前に駆け抜けてきた大きな壁のひとつひとつが、遠くからこの二人の居る場所まで順々に崩れ落ちてゆく。 「……まるでドミノだな」 「黙れ、貴様」 「若しくは、リレー式の鬼ごっこ。いや、隠れんぼ……かな」 「黙れと云っている」 「リレーしてるのは壁の皆さん。さて、バトンは何だろう」 「良いから緊張感に欠ける台詞をそれ以上吐くな」 「壮絶な光景だろうな。外から見てれば」 「………」 それ以上の追及(と云うか説教)を諦めたのか、イザークはどさりと瓦礫のようなものに腰を下ろし、空とも天井ともつかない頭上を見上げ息を吐いた。 プラントの総力、ウェザーシステムの模倣とも云うべきそのシステムは、アスランとイザークによって破壊されても尚、ふたりが途方に暮れている頭上に空を描いていた。 マザーコンピューターを破壊した所為で、ジジジ、と掠れた模様が、まるで曇り空のように見えるのだから不思議だ。 「いっそ天井を壊せば、」 「阿呆。ここは地下だ。貴様、どれだけ潜ったと思ってる」 「……だよな」 始めから特に期待もしていなかったのか、アスランはあっさり降参した。 とは云え、軽口を叩きながらも、頭では恐ろしく冷静に計算をつづけていた。壁の質量、地表からの距離、崩れ落ちる音から考えた破壊の進度。 ―――ああ確かに、認めるならば、絶体絶命、かも知れない。 とりあえず無傷にこの場を乗り切るには絶望的な感じだ。 そう、思ってから。 勢いで飛び出してしまいそうな言葉を、何とか呑み込んだ。 ただそのまま再び奥底へ沈めることは、どうにもこの状況が赦してはくれそうにない。 だからしかたなく、名前を呼ぶことで堪えた。 「……なぁ、イザーク」 「……何だ」 「俺、云わないよ」 何を、とは云わない。 ほんとうはずっと、おたがいに、今にも云い出してしまいそうな空気を持て余していたからで。 「絶対に、云わない」 先手を打ったのは、矜恃のためだろうかと、ふと思う。 けれどすぐに違うと思い直した。 矜恃でも何でもなく、まだ、己が己として立っていたかったから、それだけのことだ。 だから自分自身に云い聞かせるようにして、もう一度、はっきりと云った。 イザークは相変わらずアスランから視線を逸らしたままで……それでも、アスランの方へ気を配っていることは明らかだった。 「……云って欲しいとも思わん」 ドォン、ドォン、ドォン、 音が、近づいてくる。 これはほんとうに破滅だろうか。 「うん」 ドォン、ドォォン、ドォォォン、 破滅が、音を引き連れて近づいてくる。 だから焦っているのか、それとも諦めて素直になったのか。 どちらにしても、ひどく卑怯だと、そう思った。 卑怯で、残酷で、全く相手のことなんかこれっぽっちも考えていない。お互いに。 「だから俺も云うものか」 ―――未練が、あるとすれば。 「……イザークらしい」 未練があるとすれば、絶対に無様な姿を晒すものかと思っていた相手にこんな醜態を晒していることそれ自体で、けれどそれは、お互い全く同じことを思っているだろうからおあいこだ。 不本意な状況に急かされて、云うつもりの無い言葉を相手に与えてしまうなんて、それ以上の屈辱はないだろうと思った。一番相手が望んでいることをまざまざと与えてしまうなんて、それ以上の生き恥はないだろうと思った。相手が何よりも云いたい言葉を奪ってしまうなんて、それ以上に惨めなことなんてないだろうと思った。 ―――だから。 「……やっぱり俺は、イザークと心中なんてゴメンだね」 「それはこちらの台詞だ」 そんなことをするくらいなら、泥だらけになって、血を流して、誇りの紅服をボロボロにして、格好悪くても無様でも大声で生きたいと叫ぶ方がどんなにましだろうかと思った。 そして奥底へ沈めた言葉が何処へ行こうとも、構わないんだ、どうせこの身はその言葉と共に世界の果てで消え逝くのだから。 「全く、貴様が云うから立ち止まってはみたが、作戦会議と銘打ってうだうだしてるのは性に合わん」 「何云ってるんだ、今までのはほんの小手調べだよ」 「なんだ、漸く本気になったということか?」 「どうかな。イザークに力を貸す気になっただけかも」 「云ったな貴様。精々、俺の実力を思い知るが良いさ。上で待機してる医療班の治療を受けながらな」 「じゃあアレだ、包帯の数がすくなかった方の勝ちってことで」 「なんだそれは」 袋小路となった事態が解消されたわけでも、名案とやらが思いついたわけでも何でもない。 ただこのまま居たってそれこそお互い肩を寄せ合って瓦礫に潰されるしか途はないわけで、そんな状況になったらさすがに押し留めた言葉を云ってしまいそうで、そんなの怖いから立ち上がったに過ぎない。 そう、ナイフで人を斬りつける瞬間も、銃を撃つ瞬間も、いつだって怖いんだ。 だけど背中合わせに立つ相手がそんなものを怖がる己を赦さないから。だからどんな恐怖が襲い掛かっても、立っていられる。 「どちらが先に地上に辿り着けるか勝負だな」 「それよりチェスの勝敗がついてない」 「ああ、そうだった。そうだったな……」 勝負が中途半端なままだなんて、そんなの死んでも死にきれない。 勝敗をつけて、どちらが上か相手に知らしめなければいけないんだから。 だから俺たちは戻らなくてはならない。 こんな閉じ込められたふたりだけの空間から、たくさんの人間の命の飛び交う戦場へと。俺たちの最大の勝負の賭け場へと。 「好きだ」なんて、そんな陳腐な言葉ひとつをむりやり押さえつけたまま。 いつかこの言葉を声にすることがあるのだとすれば、そのときこそ、本当に相手に勝ったことになるのだろうか、それともそれは屈服なのだろうかと、そんなことをふと思った。 |