海の檻に
海の檻に
囚われる
囚われる

































シャトルから降り立った瞬間、身体に纏わりつくざらついた空気に、イザークは周囲に気取られない程度に舌打ちをした。
慣れない大気の感触は、最早イザークに感動さえ起こさせない。それよりは厭な思い出ばかり湧き起こる。
それに、この大地はイザークから大事なものを奪って行った。だから嫌いだ。
どれだけの血を吸い込んだのか知れないが、その栄養分で自然とやらを生み出し、プラントの人工物を否定する。絶対に好きになどなれない。ましてや感動などと。

仮令奴が此の地を永住の地と定めたとて、いやだからこそ、イザークは地球を赦すわけにはいかなかった。










無感動の瞳で窓から流れ行く景色を見遣る。海が近いのだろう、磯の香りがした。
奴がその身を置くのも、海辺だと聞く。
相当な物好きだ。良い思い出もなければ、思い入れだって特にないくせに。
これからつくっていけば良いだとか、そんな甘いことを云うのだろうか。
それは大いに有り得そうなことなので、思わず想像の中の奴に対して悪態をついた。そんなことでこれから先やっていけるのだろうか。
けれどそれよりは、潮の混じったこの厭な空気であの折角の色合いの髪が傷みやしないかと、そっちの方がよほど心配だった。
こうして会いにきたのは、自発的なわけではなかった。
イザークが自分からあいつを尋ねるとき、それは迎えに来る準備が整ったそのときただ一度だけだと決めている。
それでも仕事でオーブを訪れ、その上オフを与えられたとあれば会わないわけにもいかない。他に行く場所もなかった。
会わずにいることで己の副官や、オーブの姫が煩いというのは、正直なところ建前だということはとっくに自覚している。もうすこし素直な云い方をすれば、所詮は云い訳だということも判っている。
そう、会いたいのだ。
ただただ周囲の戯言なんか吹っ飛ばして、あの陰気くさい顔が見たいだけなのだ。
その点で云えば、副官は全く良くできた人間だった。


「すぐにまた、今度はいつでも会えるようにするつもりなんだろ? なら俺はそのときで良いよ。ときどき顔見ないと心配ではあるけど、ふたりして会いに行った方が、アイツ余計不安がりそうだしね」


全く的を射た意見だ。それに良く判っている。今アイツの側に居る奴らよりか、ずっと。
そのときの遣り取りを思い出してそっと口許だけでわらったが、海辺に立つ家を見つけるにつけ険しくなる表情を止められはしなかった。
あまり人が住むのに良い場所には思えない。
もちろん厭な気分になるのは、そんな物理的な問題だけではなかったが。





とりあえず、木造りのドアだけは気に入った。
それを叩こうかと考えていると、甲高い笑い声が響いてくる。こどもだろうか、また随分と愉しそうだ。
それに時折混じる、落ち着いたトーンの声と。


「イザーク……?」


そうだ、そのいつでも戸惑ったように自分を呼ぶ、声。それだけが聞きたかった。


「……アスラン」


そっと振り返って、久しぶりのその姿を視界に納めた。きっとまるで美術館で展示品を見るかのような目をしていたと思う。
イザークの存在に目を瞠り、風に浚われる髪を抑えた腕は以前よりもすこし細くなっただろうか。地球の紫外線に晒されている割に、病的なまでに真っ白な肌だった。
動きを止めたアスランと見知らぬ来客に、アスランに纏わり付いていたこどもたちが騒ぎ始める。何人かの子が急かすようにアスランの服を引っ張り、その所為で余計にアスランの焦燥は増したようだった。


「なんで、ここ……」


困惑気味にそう云った、けれどそのすぐ後で、何かに気付いたようにゆっくりと表情を和らげる。相変わらずだ。勝手に結論を出して勝手に納得する。
そしてその結論は、大抵が誤ったものだ。


「カガリなら政庁に居るし、ラクスはカリダさん……キラの母君とちょっと出かけてるけど。すぐ戻って来ると思うよ」


……やっぱり。
そう大した時間は経っていないにせよ、ほんとうに想像通りのリアクションをするアスランに呆れを通り越して慈愛さえ湧き起こる。ほんとうに、コイツは仕方が無い。


「違う。俺がそんな奴らなど訪ねるわけがないだろう」
「え?」
「俺は、アスラン。お前に会いに来たんだ」
「え……」


大体、正式な訪問というわけでもなく約束もなしに訪れたイザークに対し、まずプライベートではなく仕事だと信じて疑わないその仕打ちだけでも腹が立つと云うのに。その上何をそんなに驚くことがあると云うのだろう。
イザークが会いたいと願うのは、アスランだけだ。
アスランを浚い(イザークはそう認識している)今側に居る奴等のことなど、その人となりでさえ興味がない。


「仕事で……来たんだろう?」
「オーブへはな。だがここへ、お前の元へ来たのは、俺の意思だ」
「……ふうん」


なんだこの反応は。
変わらないと感慨深く思うよりも、相変わらず想像以下というくらいこちらを苛立たせるほど薄い反応に思わず舌打ちも出るというものだ。
アスランは苦笑したが、どうやらこどもを怖がらせてしまったらしい。さっとアスランの後ろに隠れてイザークをちらちらと窺っている。ナチュラルだろうがなんだろうが関係なく、とりあえず邪魔だった。


「うーん。大丈夫、この怖い人は俺のお客さんみたいだから」


イザークの相手よりも、先にこどもたちを落ち着かせることを選んだらしい。
しかもそのこどもと来たら「ほんとに? アスランにひどいことしない?」とのたまいやがった。
その瞬間はイラッと来たが、ふとアスランが不自然なくらいイザークとまともに目さえ合わせないことに気付く。さすがに気になって、腹が立つよりも不可解な気がした。
そして思い出す。ディアッカの、「会いに行った方が不安がりそうな気がする」という台詞を。
目的さえ話せば納得するだろうか。けれど、ほんとうにただ様子を見に会いに来ただけだ。それをどんな形にせよ愛に変換してくれても良い。けれどどうせ、アスランは監視だとか変な方向に勘繰るような気がした。
そんな風にアスランのことを判ってしまう自分が誇らしく、同時に恨めしい。


「平気だよ。そうだな……彼は俺の友人なんだ。さぁ、冷えてきたし、もう中に入ろう? イザークも入るか?」


漸くアスランがイザークに話をふる。
迷った末に表現した“友人”という関係に少々の違和感を感じ、けれど奴にしては上手く喩えてくれたと安堵する。“知人”とか“昔の同僚”とか云われなくて良かった。まぁこどもに理解できるような言葉を選んだだけかも知れないが。
そして入るか? との誘いは、客に対してはどうかと思うがアスランなりの気遣いなのだろうと気付いて苦笑した。


「お前以外に誰か?」
「マルキオ導師っていう……ここの責任者と、あと、キラが」
「外で良い」


即答したイザークに、アスランは苦笑して「判った」とだけ呟くとこどもを促して中へ入っていった。
そのまま入り口の前で待っていると、暫くしてから表情を取り払ったアスランが出てくる。と云っても、別に無表情というわけではなく。さっきは気付かなかったが、こどもの前ではどうやら表情を取り繕っていたようだ。今はイザークしか居ないので、随分と落ち着いた表情をしていた。
安心しきった顔、と云えばそうなのかも知れない。
イザークの来訪に不安を感じつつ、けれどその存在をどう思っているかを雄弁に語るその表情に、漸く今アスランが目の前に居るのだという感慨を覚えた。
すこし歩こうか、というアスランの提案を受け入れて、砂浜を海岸沿いに歩く。あまりこの家の側では落ち着いて話ができないだろうと思っていたので丁度良かった。


「悪いな、もてなしも何もできなくて」
「構わない。外で良いと云ったのは俺だ」
「それもそうか。まぁ、人の家でもてなすってのも変な話だしな」
「……は? 人の家?」
「そうだけど? ……お前もしかして、俺がここに住んでると思ってるのか?」
「違うのか?」
「違うよ。俺が普段居るのはカガリが居る方。仕事がなければしょっちゅうこっちに来てはいるけど」
「……一緒に住んでるのは姫の方か。随分と、大事にしてるようだな」
「カガリ? まぁ、俺一応ボディーガードだしな」


アスランは淡々と語っていたが、イザークからすれば掴んだ情報の提供者を罵りたい気持ちでいっぱいだった。正直己の副官だが。
これでもしアスランが仕事やらでここにいなかったとしたら、イザークは厭な人間と顔を合わせなければならなかったということだ。
アスランもベクトルは違うにせよ同じようなことを思ったのか、苦笑して首を傾げた。


「じゃあもしかしたら入れ違いになってたのかもな。良かった、俺今日こっちに居て」
「全くだ」
「別に、俺が悪いわけじゃないから良いけど」
「なんだと?」
「まぁまぁ。それよりお前、時間は? 仕事なんだろ?」
「……今日いっぱいはオフだ」
「へぇ? じゃあ結構時間あるのか。って云っても、この辺何もないんだ。海しかない」
「充分だ。俺はお前と話ができれば、それで」
「……話、」
「そう身構える必要はない。話と云っても重要なことは何もないんだ。……それより、顔を」
「え?」
「顔を、見せてくれ」


案の定イザークが目的を話したところで不安そうな表情を見せたアスランにはもう構わずに、強引に話を進めることにした。
立ち止まったアスランを振り返り、頬に手を当てて引き寄せる。
こつん、と額を当てると表情こそ戸惑いを表してはいたが、アスランは大人しくされるがままになっていた。


「すこし……痩せたか?」
「さぁ……筋肉が落ちたのかもな」
「鍛えてないのか」
「護衛だから、それなりには……ただ、現役の軍人のようにはいかないだろ」
「今なら貴様に勝てるか」
「無理だろ」
「なんだと?」
「元々イザークとは、力勝負じゃなかったし」


しおらしくなったのかと思えば、負けん気なところは相変わらずらしい。
台詞自体にはカチンと来たものの、今はこの遣り取りが懐かしくて、嬉しかった。


「ふん。云っているが良いさ。現役の俺と腑抜けた貴様とじゃ、そのうち差が歴然とするだろう」
「別に、腑抜けてなんかない」


挑発するようなイザークの台詞にアスランはムッと云い返して来た。漸くいつものペースが戻って来たが、それでもまだどこかに遠慮のようなものを感じる。
合わせていた額を離し、頬に当てていた掌を腰の方へと下ろすと、僅かにアスランの腰が引いたが、気付かないふりをした。


「そうだろう。こんなところでこどものお守りだけやってる今の有様を、腑抜けている以外になんと表現する」


さっき一緒に遊んでいたらしいこども以外に、家の奥に引っ込んで居るらしい幼馴染やらその姉やらを含めた“こども”というイザークの厭味に、さすがに気付いたらしい。
僅かに眉を顰めたものの、何も云い返しては来なかった。云い返しても判り合えることはないと悟ったのか、それともアスラン自身も感じていたことなのか。


「……戻る気は?」
「ない。あったとしても戻れない」
「あるということか」
「どうとでも思えば良い。どうせ俺には居場所なんてない」
「それはつまり、あいつらの側も居場所ではないということになるが」
「それで良い。俺にそんなものは必要ないんだ」


いつだって自信がありませんというような顔をしておきながら、こういうことだけ強情だ。ほんとうに、厭になるくらいに。
でも嫌気が差すどころか気になって仕方がないイザークだから、今こうやってここに居る。


「俺が、戻って来いと云ったら?」
「同じことだ。俺は亡命したんだ。非公式に、暗黙の了解というやつで。今更……」


何を続けようとしたのか、明確ではないながらになんとなく判る気はしたが、アスランはそれ以降俯いたきり黙り込んだ。そこで口を割らせようとするほどイザークは非道ではない。だが、話題を逸らせるわけにもいかなかった。
迎えに来たわけではないし、その準備さえできていないけれど、やっぱり顔を見たらどうしても、と思ってしまう。どうしても、放したくない。
どうせここに居たって笑顔は見せないくせに。
だから、フライングのような気はしたが、本人の意志を確かめておくくらいは良いだろう。確かめておくと云うよりは、覚悟をさせておくと云うべきか。
何から話そうかと口を開きかけると、その気配を察したのかアスランは縋るような瞳でイザークを見上げてきていた。けれど何かを話す素振りはない。やはり先手を打つしかなさそうだ。


「……俺は、ザフトに戻った」
「……議員は?」
「元より暫定だ。代わりになる奴が出てこない限りは無責任に辞められないが」
「ふうん……イザークはどこに行っても期待されてるから、ザフトでも大歓迎だろう」
「白服だ」
「……隊長クラスだな。大出世じゃないか」
「副官はディアッカだ。あいつは責任とかなんとか云って緑を着ているが」
「へぇ。ディアッカらしいな」
「だから、立場的には問題ないんだ」
「……なにが?」
「貴様を受け入れられる」


―――そこで。驚くならまだ良い。だが、傷ついたような顔をされるとは思ってなかったので、イザークも何も云えなくなってしまう。
アスランは何かに耐えるような表情をした後、深く重いため息をついた。総ての息を出し切った頃には、表情も消え去っていた。


「……無理だよ」
「何故だ。俺が平気だと云ってる」
「無理だよ……俺が、」
「貴様が? 別に腑抜けた貴様にザフトに戻れとまでは云ってないだろう」
「なら余計だ。俺は、お前の、重荷には……」
「な、んだそれは……」
「イザーク、」
「なんだそれは!!」


怒鳴りつけると、アスランはびくりと身を震わせた。だが気遣ってやる余裕はない。怒りを引っ込める気もない。


「誰がそんなことを云った!? 重荷だなんてことがあるか! 俺が、俺自身がそう望んでいるのに!」
「イザ、痛っ」


肩に置いた手をきつく締め上げた所為で、アスランが小さく悲鳴を上げた。今はそれさえ、アスランが弱くなったような気がして苛ついてしまう。だってアスランはそれでも……気高かった。一件軟弱そうに見えて、けれどプライドは喪っていなかった。思い込んだら先走るのだって、いつだって痛々しいまでに真っ直ぐな所為だった。

何がいけなかった? 何がアスランをこんな風にさせた? イザークがアスランの身体を抱いてさえ抑えきれなかった征服欲の、その根源は、一体何処に行ってしまった?

唐突に冷めた考えに割り込む波の音が煩い。そうだ、これだ。この海がいけない。この大地がいけない。
人間がどうやったって勝てるはずもない壮大な大地に、きっとアスランの心が挫けてしまったに違いない。
そうだ、その方が良い。
あのいけ好かないフリーダムのパイロットの存在や、ラスティやミゲルやニコルの死や、アスランの父親や、オーブの姫や、とにかくイザークではないものに囚われているくらいなら、いっそその方が良い。


「……悪い」


馬鹿馬鹿しい考えに自分でおぞましくなって、イザークはそっとアスランから手を離した。
なんてことを考えたんだろう。これではまるで途方もない嫉妬心だけでアスランに執着しているみたいではないか。
アスランはほっとしたような表情で、けれど離れていくイザークの腕を名残惜しそうに見ていた。しかしその表情の意味を読み取る余裕は、今のイザークにはない。


「アスラン……俺は本気だからな。いつかお前を連れ戻す」
「イザーク……だけど、君に迷惑が」
「ない。だが貴様の性格上気になるなら、そうだな、適当に働けば良い。一般人は貴様の顔もそんなに知らないし、議会は人によるが正直ザフトは大歓迎だしな」
「……でも俺は、ザフトを一度裏切った身だし」
「選択肢を増やしてやっただけだ。無理しなくて良い。それに、行くところがないと云うなら俺のところに来い。どうせ俺も微妙な立場の所為で、議員宿舎でもザフトの寮でもなく普通のマンションに一人暮らしだ。気兼ねも必要無いし、貴様ひとり増えたところで生活には何ら支障ない」


どうやらアスランはなんとかしてイザークの誘いを回避したいらしい。ここまで来たら意思などではなく単なる意地のような気もする。
だからひとつひとつの可能性を潰していって、結果的にイザークの元へ来るしかないというように話を持って行きたかった。
だが、次のアスランの一言でさすがにイザークも甘い対応を改めようかという気になる。


「けど、それは……そう、恋人とかが」
「は?」
「折角一人暮らしなんだから、俺が居たら、邪魔だろう?」
「……は?」
「あ、まだ居ないのか? でもそろそろ居ても奇妙しくない頃だし、君はもてるし、」
「ちょっ……と、待て、アスラン」
「なんだ?」


訳が判らない。と云うか、判りたくない。
ぐるぐると色んな考えが駆け巡り、ああこれが良くアスランが陥るハツカネズミ状態か、などとそんなどうでも良いことが判る。けど好きな奴のことを知っておいて何ら悪いことなどない。そうだ。


「……アスラン」
「うん」
「俺は、……お前が好きだと、云ったな」
「……云われたな」


表情はちょっと怖くて見れないのだが、アスランの返事をする声は平静そのものだ。厭な予感がさっきから止め処なく溢れてくる。額を流れるこれはなんだ。冷汗か。


「キスもしたし、セックスもした」
「…………したな」
「…………俺の恋人は、お前じゃないのか」


断言できずに問い掛けるような口調になってしまったのは、イザークの所為じゃない。さすがにアスランの反応に不安にもなったからだ。


「イザ、」
「すくなくとも、俺はそう思っていたんだが。まさか貴様は初めからそうじゃなかったのか?」
「―――違う。俺は、イザークと付き合ってるつもりでいたよ」


さっきからいちいち過去形なのが気になるが、とりあえずその返答にはほっとして、漸くアスランの顔を見ることができた。静かな表情だ。話題の割に、淡々としている。イザークとは正反対だ。


「じゃあなんで恋人がどうとかそんな話になるんだ」
「だって、……イザーク」
「なんだ」
「イザーク……気持ちは――薄れるものだろう?」
「は……?」
「離れていたら、余計だ」


思考が停止する。呼吸すら止めて、イザークはアスランを凝視した。アスランは変わらずに平淡な態度で……それがイザークを煽った。


「なっ……」
「だから、イザーク。もう同情は、」
「ふっ……ざけるな!!」
「な、に……」
「同情だと!? まさか貴様、ずっとそんな馬鹿なことを思ってたんじゃないだろうな」
「だって……違うのか? もうイザークが俺を気にする必要なんて……」
「俺は、お前が、好きだと云った!」
「そ、うだけど………」
「変わらないさ。離れていようが、憎らしいくらいにな!」
「……愛の告白には聴こえない」
「ずっと会えなかったんだ。その状況を、周囲を、貴様自身を、憎んだって仕方が無い」
「……イザーク、お前……」


いつの間にか感情は凪いでいた。
と云うよりは、底へ、底へ、どんどんと沈んでいっているのかも知れない。


「それとも何か。貴様は疾うに気持ちなんか薄れて……いや、最初からそんなものはなかったのか?」
「なっ……違う! そんなわけない!」
「俺は貴様に会いたかった。側に居てくれれば、それだけで良かったんだ。だけど、お前は平気だったんだろう?」
「そんなこと云ってないだろう! ただ……」
「ただ……なんだ。それこそ同情か?」


クッと口端を持ち上げたイザークを、アスランは絶望したような顔で見ていた。
一瞬だけ下を向いて、けれどすぐに何か覚悟したかのような表情でイザークを見上げる。それはイザークにとって不穏の兆候にしか思えなかった。


「違う! ただ、俺は……待つしかなかったんだ。時が経つのを、情勢が変わるのを。プラントに戻れないのは仕方ない。けど、それをイザークに会えない理由にはしたくない。会いたかったよ。あのときは慌しくて、話どころかろくに挨拶もできなかったし。でも俺には力も無くて、あったとしても奮う勇気もなくて……ただ、会えるようになるまで、待つしかなかった。だけど、イザークはプラントに居て、俺はプラントに居場所なんかなくて……気付いたんだ。きっともう終わったことなんだろうって。会いに行く方法も勇気もないくせにイザークを待ってるだけの俺はなんて愚かなんだろう。イザークが会いにきてくれるなんて何でそんなこと信じてたんだろう、そんなわけないのにって……」
「……云わなかったか? 迎えに行くと」
「さぁ。聞いてなかった」
「………」


云った、ような気はするのだが。
けれど想いは通じるとばかりに云った気になっていただけというのも否定できないし、あの頃必死だったアスランが聞く耳を持たなかったというのも大いに在り得る話だ。
どちらにせよ、不安にさせてしまったのは自分の責任だ。連絡を取る方法はいくらでもあったのに、妙なプライドで遠ざけていた。こんな風に先走ってると判っていたら、毎日でも連絡して安心させてやりたかったのに。……自分の心の平穏のためにも。


「だから俺は、諦めたんだ。待っていたって、きっとイザークはこんな厄介な俺なんか、会うことすらできない恋人なんか、もう別れた気でいるんだろうって。だから、俺もそう思うようにした。俺は変わらないけど、イザークの世界は広いんだし……寂しいけど、このまま会わなければ忘れていけるって、思ったんだ。実際、そんな気になってた。けど……」


ぽつりぽつりと、けれど珍しく饒舌に話しつづけるアスランに、些か違和感を感じたけれど。
そんなことを思われていたという事実を突きつけられて、その想いには嬉しい気はしたものの、さすがにショックだった。
アスランはイザークから視線を外し、波打ち際を見つめている。再び口を開くまで、イザークは辛抱強く待った。いつの間にか陽は橙の光を帯び、西に傾きかけている。


「こうして、イザークが会いに来てくれて……やっぱり俺は、忘れられてなんかいないって、実感したよ。蓋をして、奥の方に追い遣ってただけで、イザークの顔を見ただけで途端に溢れ出すんだ」


なるほど、最初に顔を合わせたときの変な反応はそれでか。
漸く得心が行ったが、それにしたってひどい。この独り善がりの突っ走りっぷりはひどい。そんなことを思えるのも、今アスラン自身からイザークへの想いを伝えられて安堵したおかげだが。


「しかも、それでもまだイザークに気を遣わせて……良いんだ、俺は。もう会えないって判ってるからこんなこと云えたんだし……云えて、すっきりした。イザークは後味が悪いかも知れないけど、忘れてくれて良いよ。俺はお前との思い出があれば平気だから、そんな風に俺のために色々してくれる必要も無い。そうだな、今みたいに仕事のついでに顔を見れたら、嬉しいけど。直接話したら、また俺はダメになっちゃうから、当分は無理かもしれないけど……いつかは、きっと」
「……そうだな……」
「うん」
「貴様は……ホント、ダメだな……」
「……うん、ゴメン」
「放っといたら、ホントにダメだ」
「……なんかイザーク、声低いけど……」


やっぱり怒ってるのか? と首を傾げた身体を、ぐいと引き寄せた。
これ以上そんな言葉なんか、例え誤解でも聞きたくない。


「イ、イザーク!?」
「俺はお前が好きだ。今でも、ずっと変わらずに。……いや、会えなかった分、前よりも強く」
「そ、んな……」
「ほんとうだ。俺はずっとお前だけを想ってたし、いつかこんなところから連れ出してやる気でいた。居場所がないと云うなら、俺の側に居れば良い。そこを貴様の居場所にすれば良い」
「え……?」
「戻って来い、アスラン。俺が全部、全部なんとかしてやるから」
「なんとか、って……」
「云っておくが、貴様のためだけじゃないからな。俺が貴様に、側に居て欲しいからするんだ」
「イザーク、」
「云え、アスラン。俺が好きか?」
「は?」
「はっきりと云え。このままだとさすがの俺も自信を無くす」
「……でも、イザーク」
「云ってくれ。そうじゃないと、お前を浚えない……」


ぎゅっと、抱き締める。やっぱりその身体は細くなっていた。けれど力を緩めることはしない。もう放さないとばかりに、きつく、きつく、細い身体が軋むほどに。
本音を云えばもうアスランの気持ちなんか関係なく連れ出してしまいたかったけれど、それでもはっきりと言葉を聞きたかった。それさえ聞けばほんとうに、文字通りなんだってできる気がした。
アスランは逡巡するような素振りを見せて、けれどすぐに落ち着いた声音で話し出した。


「イザーク……好きだよ」
「アスラン……」
「もう俺には、君しか居ないんだ」


ああ、こんなに。
これほどに。
つんと目の奥で何かが瞬いたけれど、必死で堪えた。ここで弱いところを見せてしまっては、やはりまた不安がらせるだけだろう。


「俺もだ……アスラン。お前だけで良い」


されるがままだった身体がもぞもどと動いて、離れる気かと思ってまた力を強めると、思わず抱き返された。その力は弱々しく、手を添えるだけという表現の方が相応しかったかも知れないが、それでも。
漸く気持ちは伝わったらしい。そして、同意を得られたらしいと判断する。
ずっとこのままで居たかったが、そういうわけにもいかない。さきほど、もう遠退いた視界の端の方で車が岬の方へ向かって行くのを見た。


「行くか……このまま」
「は?」
「ディアッカには呆れられるだろうが……まぁ良い。行くぞ」
「どこに……そっちは反対方向だぞ?」


アスランの手を取り、歩いてきた方を引き返さずそのまま進むイザークに、アスランが困惑の声を上げた。こ
のまま帰したら、またどんな勘違いをされるか判ったもんじゃない。それに、漸く取った手を離すことが、どうしてもできなかった。


「誰が戻ると云った。とりあえず俺の泊まってるホテルに行こう。滞在中になんとか入国許可だけ取ってやる。その後はちょっと大変かも知れないが」
「は?」
「側に居ると、云っただろう?」
「いや、でも、」
「急すぎるということはない。むしろ遅すぎたんだ」


アスランがしたかったであろう反論をむりやり押さえつけて砂浜を歩く。夕焼けの光を浴びて橙に光る海は、なるほど綺麗なのかもしれなかった。
けれどその景色から、漸くアスランを引き離せる。そうだ、初めからこうしておけば良かった。
餞別のように今はもう遠くにある家に視線を向け、けれど何を告げるということもなく。


「……イザーク?」


振り返ったイザークを訝しげに見上げるアスランの唇に、不意打ちのように自分の唇を重ねて。


「イザークッ!」


すこし怒ったように返って来る名前に、こんなにも。……こんなにも。


「大丈夫だ、アスラン。もう不安にはさせないから」
「……精々、よろしく」


精一杯の強がりのように頬を染めながら吐き出された台詞に、倖せな笑いを止められなかった。