「華がない」
「……なんですか、いきなり」


長いこともんもんと考え込んで、漸く口を開いたと思えばコレだ。ある程度慣れたこととは云え、ニコルはそのくるくると転換してゆく思考回路についていけなくて、半ば呆れ加減に返事をした。それでも無視せずに相手をする辺り、ニコルがニコルたる所以だ。
事実ディアッカは聞いているのかいないのか、目を通していた雑誌から顔も上げないし、イザークも、本人ではなくちらりとニコルの方を見て、


「放っておけ」


とだけ云うと、また違う方向へ視線を転じた。その先に何があるのかは判らない。ただこっちを見ていたくないだけなのだろう。
そんな空気を読もうともしない張本人はまた一言、


「華が欲しい」
「……ラスティ」


ラスティは場の盛り上げ役だ。彼がいなければ、自分たちはてんでばらばら、こうやってひとつの場所に集まろうとすらしないだろう。でもそれに関して素直に感謝の気持ちが湧かないのは、ときどきこうやって意味不明な発言をするからだ。いや、意味なんて判りきっているのだが。
こんなアカデミーの中で、華なんて無いに等しいのに、今更何を云っているんだろう。数すくない女性陣だって、軍に入ろうと思うからには見かけなり中身なりが非常にたくましいので、華になり得るはずも無い。ニコルは一体どう返事をしたものか、はぁ、と軽くため息をついた。いちいちこんなことで悩んでいられないが、相手をしなければきっともっとうるさくなる。もしかしたら実質このメンバーを支えているのは、纏め役のラスティではなくニコルなのかも知れなかった。


「ラスティって、そんな女好きでしたっけ?」


ガツン、と豪快な音がした気がした。


「……何、そんな直截な」
「云い出したのはラスティですよ」
「いやいやいや、そんな彼女が欲しいとかさもなくば可愛いコに囲まれたいとか云っているわけではなくてですね?」
「云ってるじゃないですか」
「だからそうじゃなくて。毎日まいにち、おんなじヤローどもとばっか顔合わせてれば、そんな気にもなるっしょ」
「それで華、ですか」
「そうなんです」
「イザークなんか、とても華やかじゃないですか。目の保養にはもってこいです」
「確かに身近で手短ですけどー。ヤローはヤローですし。中身なんか、思いっきり」
「外見で我慢しておきましょうよ」


この際我が侭云ってられないでしょう、というニコルの発言は、イザークの払った手の音に遮られた。手でテーブルをだん、と一突き。小気味の良い音が鳴った割に、イザークはなかなか口を開かなかった。
あ、痛かったんだな、とは思ったけれど、ここで敢えて流すのが優しさだと素直に思ったニコルと揶揄で思ったラスティは、そのまま黙ってイザークの中で波が収まるのを待った。ディアッカだけはさすがに雑誌から意識を外して、はらはらしながらイザークとふたりを交互に見ていた。恐らく、どちら側につくのが有利か決め兼ねているのだろう。


「黙って聞いてれば貴様ら、ひとのことを好き勝手云いやがって……」


イザークは何事もなかったのように当初云いたかった言葉を云い切った。
そうきたか。身構えていたラスティは己の期待外れにすこしだけがっかりして、やっぱり何事もなかったかのように返答をした。


「何よ、イザークさまったら。意外と鈍感なのね」
「あ、やっぱりそういうことだったんですか」


しなをつくるラスティと、勝手にひとりうんうんと納得するニコルが気味悪かったのだろう、イザークは未だ黙ったまま成り行きを見守るディアッカに向けて、「説明しろ」と睨みつけた。


「……いや、俺にもさっぱり」
「エルスマンの息子が、そんな役に立たないようでどうする!」
「いや、そんなこと云われても……?」


ディアッカとて意味不明だ。何しろ、巻き込まれないよう気の進まない雑誌を捲っていたのに、いつの間にかすっかりいつものペースなのだから。イザークに胸倉を掴まれた横目で、ディアッカはラスティにそっと助けろと合図を送った。なのにあっさり、「頑張れ」という眼つきと親指を立てたポーズで返される。いや、元凶はどう見てもアンタだろう。イザークに揺さぶられたままの体勢ではそう云うのも一苦労だった。


「いやぁ、ジュールの息子は、ひとり華に恵まれているようでどうしてくれましょうね」


助けようとしたのか助長しようとしたのか。
最早意図の計れないタイミングで、ラスティは口を開いた。イザークは漸く今までの会話の流れについて思い至ったようで、ディアッカの首を一度強く締めて後(ぐぇ、という声が聞こえた)、ぱッと手を離すと(どさ、という音が聞こえた)、大人しくラスティの向かいに座った。


「……なんだよ」
「何? なに!? その反応! もしかしてもしかしなくても照れてんのお前!?」
「やかましいわ!」


床に接着してあるテーブルをちゃぶ台の如くひっくり返そうとして、当然ながら失敗したイザークは、その手の行き場を誤魔化すようにバンバンとテーブルを叩いた。鈍い連続音に、今度こそ痛いだろうと思ったラスティだったが、イザークは構わずにその意味不明な行動(恐らくは照れ隠し)をつづけている。


「この前の休暇で会ってきたんだってー? どうよ、ザラ国防委員長の秘蔵のお姫様は」
「やかましいと云うとろーが!」
「穏健派との行く末を考えて、一時はラクス様との話も出ていたんでしょう? それを振り切って自分の娘と婚約させるとは、革新派の強固のためとは云え、パトリック様もよほどイザークが気に入ってるんでしょうねぇ」
「貴様もか!」
「アスラン、って云ったっけ? ラクス嬢は良くパーティでも会ったし、何よりテレビ出まくりだけど、アスラン嬢はずっと母君と月に居たとかで一度も会ったこと無いもんなぁ。メディアにも一切お披露目無しとくれば、興味をそそられるのも当然の展開だろ」
「おい!」
「噂では母君に瓜二つだってよ」
「ディアッカ貴様ぁ!」
「そりゃ良かったなぁ、イザーク! 父親似じゃなくて!」
「良い加減にしろ…!」
「それでイザーク、正式な婚約発表はいつなんですか?」


ひとつひとつの台詞に律儀に返されたイザークの反応は、一切相手にされなかった。
それどころか無視して会話は進んでいる。報復を考慮に入れてでも面白いと踏んだのだろうか、いつの間にかディアッカまで参戦している始末だ。


「さすがに会見の席では顔見せるんだろ? 愉しみだな」
「じゃあそれが初お披露目か。男冥利に尽きるなぁ、イザーク」
「でも水くさいですね、イザーク。ぼくと貴方の仲なんですから、それより前にぼくらだけには写真とか見せてくれても良いんですよ」


どんな仲だ。そうは思ったものの、これ以上云っても労力の無駄だと珍しく悟ったイザークは、すべてを諦める気分で彼らの云い分を聞き流すことにした。
実は写真は持っていたりする。いたりするが、見せても見せなくてもどうせこいつらの云うことは大して変わらないだろう。
落ち着け俺、どうせすべてはやっかみだ。悟りを開く寸前の仏と成り果てたイザークに纏わりつく名物ザフトレッドの面々は、さながら祈りをささげる信者のようだった。買収しようとドリンクをささげる姿なんか完全に御供えだ。
結局は耐え切れなかったイザークが怒鳴りつけてひとり部屋に戻ることでお開きとなったその集会は、のこされた三人の言葉で締めくくられることになった。


「良いよなぁ、華」
「良いですねぇ、初々しくて」
「これで大人しくなれば良いんだけどなぁ…」


ぽつりと落ちた最後のディアッカの呟きだけ、いやに物悲しく当人の居ない部屋に響いた。