私はあの日ヒマワリ畑で死んだのです


垣根を挟んだ反対側で自分を探す声が行き交っていることに気付いてはいたが、スザクは敢えて息を殺していた。
気配を殺すことに自信はないが、人が近付く気配ならある程度の距離があっても判る。誰かが此方へと向かってきたら更に人が居ない方へと逃げれば良いのだから、特に策略を廻らせずとも当分見つからずに済むだろう。
そんなわけで常に気を張りつめておかなければならず、息が吐けないのであまり休息にならないことだけが不満だが。別に身体を休めたかったのではなく、息の詰まるような執務室から逃げ出したかっただけなのだから構わないだろうと苦し紛れの云い訳をする。……誰が聞いているわけでもないのに。人に見つかってはいけないということを忘れて、大きな溜め息を吐く。
それでもスザクが自分の意志で逃げ出している以上、この枢木家の人間にスザクを見つけることなどできるはずがなかった。……そう、ただひとりを除いては。


「――見つけた」
「……ルルーシュ」


ぎくりと身体を強張らせたスザクに構わず、スザクを見つけることのできるただひとりの使用人――ルルーシュは、スザクの元まで近付いた。
けれど別に声を上げてスザク発見の報を誰かに知らせるわけでもない。それでいて隣に並んでくれるわけでもなく、静かにスザクの側に立ち、静かな瞳でスザクを見下ろしている。ルルーシュはそういう人間だ。ただ、スザクの行動に従う。いくらスザクを見つけるよう仰せつかっていようとも、スザクの意志を捩じ曲げるようなことはしない。
それはルルーシュの主義でもあるし、同時に他の使用人とルルーシュが溶け込んでおらず、ルルーシュ自身無理に距離を縮めようと思っていないということも示している。
それがルルーシュを独り占めしているみたいで嬉しいような、だけどやはりルルーシュが一人なのは哀しいような、複雑な心境を持て余したスザクはまた無駄な足掻きをすべく、なるべく明朗な笑顔でルルーシュと対峙した。


「また見つかっちゃった。ルルーシュには敵わないな」
「俺がどうこうじゃない。お前がワンパタなんだよ」
「それにしたって、全然気付かなかった」
「それはお前の怠慢じゃないのか?」
「まさか。見つかったら困るからね、誰か近付いてこないかこれでも注意してたのに。ルルーシュ、いつの間にそんなに気配消すの上手くなったの?」


スザクはただ軽口を云い合いたいだけだった。ルルーシュも途中までは付き合ってくれているようだったのに、クッと不自然に口端を歪ませると「暗殺にはもってこいだろう?」などと云ってくる。
違う。そんな不穏な会話がしたいわけじゃないのに。


「莫迦なこと云わないでよ」
「俺の存在意義を莫迦なことだと?」
「だから……」
「まぁ良い。……お前が気にするまでもないことだしな。それより、気が向いたらちゃんと戻れよ」


と云いつつ、ルルーシュはスザクを促すわけでもなく自ら立ち去るでもない。
スザクはそれを勝手にルルーシュの優しさだと前向きに解釈することにして、ルルーシュの言葉に甘えてそのままルルーシュから視線を外し、起こしていた身体を芝生の上に横たえた。
ルルーシュも近付いてくれるわけではないものの、近くにあった木にその細身の身体を預けるように寄りかかっている。
スザクを身を護り、何処かからの襲撃に対応できるように。


「……護りたいのは、僕の方なのになぁ」
「? 何か云ったか?」
「ううん……良い天気だなぁって」
「そうだな。絶好の書類日和だ」
「君ね……」


さり気なく厭味を云われてしまった。だが、そんなものに怯むスザクではない。だってそれに負けてしまったら、折角のこのルルーシュとの時間がなくなってしまう。
そう、それが例え決して穏やかだとは云えないものだとしても。
スザクにとって、これは大事なルルーシュとのひとときだった。だってこれくらいしか、ルルーシュと過ごせる時間など無いのだから。


――いつからだろうか。ルルーシュとの会話が噛み合なくなったのは。
日本の勝利が確定した時点で、頑なに敬語しか使おうとしなかったルルーシュを説き伏せてなんとかタメ口にさせたのに、会話中に流れる空気がまるで余所々々しいと気付いたのは。
ルルーシュが、初めて会ったとき以上に冷たい瞳しか向けてくれないことに気付いたのは。
一体、いつからだっただろう。


一番最初は厭な奴だと思って、けれどそれ以上に優しい人だということを知って。毎日まいにち詰めかけて大分打ち解けたなと思ったのに、それがあっさり壊されたのは7年前。
ああもうそんなに刻が経ってしまったんだなとスザクはどこか他人事のように考えた。
本当の友人のように穏やかな時間を過ごしたのは、それを思えばほんの一季節のことだ。それでもスザクはあの時間を忘れることができない。
今もルルーシュは、ナナリーの前でだけはあの頃の笑顔でいられるのだろうか。
ルルーシュの大事な大事な、ひだまりのような妹。
そのナナリーでさえも、今はすこし一歩下がるようにスザクに接して来るのが哀しい。
あの兄妹に安息を与えてあげたいと思うのに。そしてできれば、そんな存在に自分がなれれば良いと思うのに。
一体どうすれば、またあの頃のような3人に戻れるのだろうか。
いっそ日本が負ければ良かったのにと思うほどだ。
今のスザクにできることはただ、こうして自分がサボるふりをしてルルーシュを引き止めるだけ。
その中ですこしでも、殺伐とした空気を取り払うようルルーシュに働きかけるだけだ。
そのうちにふたりで居るときくらい、こんな主人と使用人という忌々しい関係じゃなく、ただの友人として笑い合えるようになると信じて。


(……何もかも投げ出して、人種も身分も関係ない世界に、君たちふたりを連れ出すことができれば良いのに)


そっと横目でルルーシュを見つめるスザクに気付いているのかいないのか、ルルーシュはただ、読めない瞳で虚空を見つめているだけだった。

続かない