それでも光耀く
ヤな話で盛り上がっているな、とルルーシュは思った。
その話題に移る前からとっくにルルーシュはその輪から抜け出し、ナナリーと戯れていたのだが、距離も近いことだしいつこちらに話が振られるか判ったもんじゃない。だからルルーシュは必死にナナリー以外の声を耳に入れないようにしていたし、ナナリーもルルーシュと同じことを考えたようで、彼方の話に一度ぴくりと反応しただけで、後は顔を向けようともしていなかった。
スザクも抜け出したいようだが、既に宴もたけなわの輪に入ってしまっている以上タイミングが掴めず困っているようだった。だが今回ばかりは、スザクを助けてやるよりもひたすらに巻き込まれないことを優先させていただく。
彼らが異様に盛り上がっているのは、家族――ひいては親の話だ。
いつもの生徒会役員だけではなく、イベントの実行委員会の打ち上げなのでそれなりに大人数が集まっているし、しかも外はすっかり暗くなっているしその上酒も入っている。それもあってルルーシュはナナリーを連れて早々に逃げ出していたのだが、その判断は大正解だったらしく、大して笑えないような話なのに大爆笑したり突つき合ってからかったりと、異様に盛り上がっているようだった。
学生寮で生活する彼らにとっては、この年齢にありがちな親を鬱陶しがる気持ちもなく、寧ろ恋しいものなのだろう。それは、判る。と云うか、普通はそういうものなのだろうということは判る。同感とは嘘でも云えないが。
うちの親ってばさぁ、という話に付随して幼い頃の恥ずかしい思い出暴露大会となっているようで、ああほんとうに厭な流れだと思った。と云うか耳に入れないようにしているのにあまりに中心部で大声で話しているのでどうしても聞こえてしまうのが心底厭だ。
しかしルルーシュとナナリーに関しては、普通の寮ではなくクラブハウスで生活しているということや、あまりそうだと思いたくはないがナナリーの身体の事情などから、なんとなく家庭の事情も察してくれているようだし無理に振られることはないかと楽観視していた。のだが甘かった。
あな恐ろしや酒の力と夜の魔法。
昼間、素面なら気遣って絶対聞かないようなことを、彼らは期待に満ちた瞳で全くあっさりきっぱり聞いてくださったのだった。
「なぁなぁ、副会長んトコは? やっぱ両親揃って美形だったりすんの?」
それを聞いて来た勇者の正体は時折話をする程度のクラスメイトだったので仕方ないかと諦めつつも、同じ場に居る生徒会役員が止める様子もないことにすくなからずショックを受ける。彼らなら庇ってくれそうだと思ったのに。
まぁスザクははらはらしているし、ミレイも反応に困っている様子だ。事情を知る二人の場合はルルーシュの思惑が見えないと確かに悩むだろうし、却って知ってしまっている分、気を遣わせているようで申し訳ない気持ちもあるから赦すことにするが。
しかし、「ばっかだなーお前。そんな訊き方したら素直に答えられるわけねーだろ?」と、庇うわけではなく助長させるように悪ふざけに乗ったリヴァルを(正しくはその足元を)見てーーー怒りを通り越して呆れ果てた。
(人数が多いとは云え……一体、何本空けたんだ?)
テーブルの上と云わず床にまで及んだ空き缶空き瓶は、数えるのも莫迦々々しいほどだ。
呆れと、 ここまで酔っていればどうせ覚えていないだろうということと、やはりふつふつと湧いて来る良くも禁句を聞いてくれたな貴様という怒りと、ついでにここを片付けるのはもしや俺かという憤りが、ルルーシュの普段は堅過ぎる口を緩くさせた。
「なぁってば、どんな人なんだよ。たまには誤摩化さないで教えてくれたって良いだろー」
「そうだな、俺たちの親か……」
いくら酔っていようとも、ルルーシュがそんな話をするのは珍しいと感じたのだろうか。気付けば全員大人しくルルーシュの声に耳を傾けていた。ルルーシュと手を繋いでいたナナリーもきょとん、と首を傾げている。その様子に安心させるように掌を包み直し、ルルーシュはその厭な団体を見据えると首を傾げここではない何処か遠くを見つめた。
「俺の、母は……美しいひとで……」
へーやっぱり? と頷く声や、見てぇーと唸る声や、何故か項垂れたシャーリーの様子を見ながら、ルルーシュはつづける。
「――と云わなければ、実の息子であろうとも容赦なく湖に突き落とすような、そんなぶっ飛んだひとだ」
「「「「「「「「「「……は?」」」」」」」」」」
まぁ予想通りの反応だな、と思いながらルルーシュは若干満足げに彼らを見遣った。
すこし間を置いて、「またまたぁ」とか「そうやって誤摩化すんだもんなぁ、いつも」とかなんとか騒ぎ出したが、嘘は全く云っていない。今まで誤摩化しつづけてきた、これが真実だ。
ミレイだけは「あちゃー」という顔をしているし、スザクは首を傾げていた。そう云えばスザクに母親の写真こそ見せたことはあるが、あの性格について話したことはなかったかも知れない。写真うつりは良いから、穏やかそうに微笑んでいるあの様子を見ただけのスザクにとって今の話と繋がらないのも理解できる。それに、昔はルルーシュも母を亡くしたすぐ後とあって、思い出補正で若干美化(※主に性格)していたふしがある。が、今のルルーシュにミレイとスザクを気遣う余裕はなかった。
それよりはこっちだ、とルルーシュが反論を試みようかこのまま放っておくか考えていると、横からくすくすとなんとも可愛らしい鈴を転がすような笑い声が届いた。
「ナナリー?」
「ふふ。ごめんなさい、おかしくって。ありましたね、そんなことも」
「「「「「「「「「「マジでぇ!?」」」」」」」」」」
ルルーシュの過去の汚点のひとつを思い出して笑ってしまっているのだから、悪いと思っているらしい。ナナリーは必死に笑いを堪えていたが、その所為でかえって涙まで溢れてしまっていた。
それをそっと拭ってやりながら、ルルーシュもつられて笑ってしまい(さすがに苦笑の意味合いの方が強かったが)、綺麗に声を揃え固まったその他大勢を気にせずナナリーに向き直った。
「ひどいな。あのときは俺も必死だったのに」
「あら、私もですよ。私もユフィお姉様も唖然として、すっかり慌てちゃってどうしようどうしようって云ってるのに、お母様ったらスッキリした顔で笑っていらっしゃるんですもの」
「そうだよな。あのときは本当に参ったよ。『泳ぐくらいはできるでしょ? この程度で溺れるなんて、もっと体力つけなさい』なんて云われたけど、ただでさえ急に投げ入れられた上に服を着てたんだから、無理に決まってるのに」
「夏でしたけど、山の方ですし、その日は肌寒い日でしたよね。長袖だった気がします」
「そうそう、そうだった。意外に水が冷たくて。それに深いし、そもそも俺もまだ小さい頃だったし、服は重いしで大変だった」
すっかり立場が入れ替わって、今はルルーシュとナナリーの方が親の思い出話を語り、周囲の方がその話を聞きたいような聞きたくないような、という状況になっている。
「そ、それでもちろん助かったんだよね?」と自分のことのように心配そうな顔をしているシャーリーに「だから此処に居るんだろ」と返せば、ナナリーがそう云えば、とつづきを受けた。
「あのときは結局、コゥお姉様が助けてくださったんでしたっけ? 確か、一族揃って湖に避暑に行っていたときだったから皆さんいらしたんですよね」
「ああ、そうだ。姉上には頭が上がらないな。ほんとうに、俺たちだけじゃなくて良かった」
「そうそう、思い出しちゃいました。コゥお姉様より先に、ホントはクロ兄さまが助けに飛び込んだんですよ。それでクロ兄さまも溺れてしまって」
「あのひとは……」
呆れたように溜め息を深く吐けば、ナナリーは笑いを深めて「クロ兄さまはお兄様が大好きですもの」と首を傾げ人差し指を口元に当てた。その動作は大変可愛らしくて実によろしいが、台詞そのものはさすがのナナリーであろうと同意はしたくないもので。
困ったように同じ方向にルルーシュも首を傾げると、「いやあの、悪い。ちょっと良い?」とリヴァルが恐る恐る入って来た。
「なんだリヴァル。邪魔するな」
「いやだから悪いって。それよりさっきからお姉様とか兄さまとか……ルルーシュとナナちゃんって、他にも兄弟居んの?」
「あれ、でも一族揃って、って云ってたから、従兄弟とかそういう可能性もあるんじゃない?」
リヴァルの問いかけに答える前に、すかさずシャーリーによる注釈が入る。それにリヴァルが納得したように手を叩いた。
「あ、そっか。そうだよな、悪い。答え聞く前に解決しちったわ」
「いや、従兄弟ではなく兄弟だが?」
「へぇー……って、兄弟?」
「ああ。ただし、腹違いだけどな」
「へ」
山ほど居るんだ、と悩ましげに溜め息を吐くと、周囲がしーんと静まり返っていることに気付いた。あれ、なんか盛り上がっているようだったし自分もナナリーと話が弾んで愉しかったからつい云ってしまったが、まずかっただろうか。酒の席だから流してくれるだろうと思ったのに。
首を傾げて無言で訴えかけると、リヴァルは固まっていた姿勢を変に崩して手をバタバタと身体の前で振り始めた。
「あ、いや、そっか。そうだったのか。へぇ、ルルーシュにはナナちゃん以外にも兄弟が……じゃ、じゃあその、お姉さんが助けてくれたんだ?」
「ああ。とても頼もしい姉で、俺の憧れなんだ。その姉が憧れているのが、俺の母で。良いんだか悪いんだか……」
「へ、へー……そう云えば話蒸し返すようで悪いけど、投げ飛ばされたって、なんで?」
「あ、そ、ソレ、私も気になってた! 何で落ちちゃったの? そのときも同じこと訊かれたってこと?」
「ああ、そうだ。湖の畔で、一族皆でお茶会をしてたんだが……」
「優雅だなー……」
変な相づちをリヴァルが入れてきたが、構わず続ける。
「そこに居た……あれはあの土地の管理人だったかな。その人に『素敵なお母様だね』とかなんとか云われたんだ。それでも俺もつい、」
「……つい?」
「 『はい、とても強くて逞しい、頼りになる母です』 と答えたら、母は当時8歳くらいだった笑顔で俺をあっさり持ち上げ、そのまま湖に放り投げた挙句 『ダメねルルーシュ、そういった質問にはいつどんなときだって美しいと答えなければ紳士失格よ』 と云われたんだが……」
「 『私の教育もまだまだね』 とかも仰ってましたね」
「ああ、そうだ。俺はそのとき既に水の中だったから細かいところは良く覚えていないけど……確かに云っていたね」
「うわぁ……」
「それを聞いて、最初に俺の云った評価は全く間違ってないじゃないか、と幼心に理不尽さを覚えたっけな……」
「ああ、うん……確かにそうだね……」
ルルーシュのあまりにもな告白に、その場に居た人間ほとんどがすっかり酒など抜け切っていたが、幸か不幸かルルーシュ自身は全くそのことに気付かないまま夜は更けて行った。