※ジュリアス=ルルーシュ、の前提で。
リリエラ
「―――軍師、」
「止めろ。止めてくれ、スザク」
スザク自身も未だ慣れない呼び名で声を掛けると、本人はそれ以上に違和を感じたらしく、強い口調で遮ってきた。
「そう云うわけには行かないよ。僕はラウンズで、きみをそう扱うように命じたのは陛下なんだから」
弱々しい瞳で見上げて来るのに耐えられなくて、更に強い口調で畳み掛けるようにして云い切ると、そのひとは今は片方だけのロイヤルパープルを揺らして、スザクから視線を逸らした。
「それ、でも……この無駄に豪華な部屋には、…いや、部屋どころか、車両にはおまえしか居ないんだし、おまえにそう呼ばれるのは……」
「あまり僕を困らせないでくれるかな。いくらきみが皇族で、それを周囲には隠すとしても、軍師という今の立場じゃ、ラウンズに逆らえるわけでもないんだろ?」
「……そう、か。そうだな……」
何かを納得した様子で、ルルーシュは俯いた。
ルルーシュとの関係をそれで良いと決めたのはスザク自身のはずなのに、そうされるとそれはそれで居たたまれなくなる心に我ながら腹が立つ。
「―――それに、僕はいざと云うとき襤褸が出やすいから。予行練習だと思ってくれれば良いよ」
わずか戯けた調子でスザクがそう声を上げると、ルルーシュはぱっと顔を上げる。その顔には、隠しきれない嬉しさが滲み出ていて。
「! そう、か…! そうだな、おまえはそういう奴だもんな。そういうことなら、仕方ないな」
なにがおかしいのか、くすくすと笑い出す。この状況で、何をそんなに愉しそうにできるのか心底不思議で、そして不愉快だった。
なんで、そんな。ただゼロであることを忘れただけで、そんなふうになれるのか。
「―――何、調子に乗ってるの?」
こみ上げるものに堪えきれず鋭い声で注意すると、瞬時にルルーシュの表情が凍る。
「……すまない。そんなつもりはなかった」
感情を抑えきれないままに睨みつけると、素直にしゅんとして大人しくなる。それがまた、気に入らない。
今の自分はきっと、ルルーシュが何をしても気に入らないのだろう。
スザクの良く知るルルーシュらしい傲岸な態度が出れば、今の立場も忘れて何様のつもりだと憤りを感じるし、しおらしい態度になると、おまえは本来そんな弱い奴ではなかったはずだろうと腹が立つ。―――もう彼が何をしても、どう謝って来ても、ルルーシュを許せるわけがない。
とは云ってもルルーシュを皇帝に突きつけた功績でラウンズになって、その皇帝から直々にルルーシュの護衛と云う名の見張りを命じられてしまっては、それに従うしかない。陛下の命には従わなければ、全ての意味がなくなってしまう。
しかしルルーシュに対する態度に関しては何も云われていないので、不敬だろうが何だろうが、ルルーシュの命さえ最終的に残ればそれで構わないだろう、という結論に至った。
「スザクは、本当に……もう、しっかりラウンズなんだな」
ルルーシュはスザクを一瞬だけちらりと見て、すぐに窓に視点を転じた。その窓は固く鎖されていて、流れ行く雄大な景色も、今は姿を消しているけれど。
その視線の先を、スザクも同じように見ながら問う。
「……どういう意味?」
責めたつもりはなかったが、ルルーシュは申し訳なさそうに俯き加減、ゆるゆると首を振る。
「すまない、疑ってるわけじゃなくて……俺はほんとうに、何も覚えていないから。日本で仲良くしてくれたスザクがラウンズだなんて、あまりに急展開すぎて、まだ付いて行けていないんだ。どうやら父上の怒りを買ってしまったみたいでもあるし、俺は日本に留学している間に、一体何をしてしまったんだろう……」
ルルーシュの記憶の詳細がどうなっているのかは、実のところスザクにも良く判らない。
ただ今は、ブリタニア皇室から逃げていたことと、ゼロになっていたことは忘れているのだと云う。その上、ルルーシュの賢すぎる頭は現状を無理に理解しようとして混乱しているから、記憶の混濁も起きやすいと云う。
その程度しか把握していないスザクにこの任務は暴挙が過ぎると思うが、とりあえず皇族復帰をさせて、ルルーシュの態度か、若しくはC.C.の動向によっては、また違う方法を取ることになるらしい。違う方法というのは、どうやら皇族であることさえ忘れさせて、一般人として生活させるということだ。
―――別に、ルルーシュがどんな想いをしたって今はもうどうだって良いけれど、でも。
皇族であることも忘れた方がきっと、ルルーシュにとっては良いんじゃないだろうかと思った。
けれどだからこその、罰とも云えるのだろう。
今の状態は、ルルーシュは大嫌いなはずのブリタニアの発展に、大嫌いな軍人として貢献させられているということになるのだから。
「―――でも、今回の作戦を皇族の名前なしで軍師として成功させれば、確固とした地位を約束してくれるって話じゃないか。それに、友人だった僕を護衛に付けるくらいなんだから、皇帝陛下も本気で怒ってるわけじゃないんじゃないのかな」
”友人だった”と、過去形で話したのはルルーシュに気付かせたくないのではなくて、自分自身への言葉のつもりだった。忘れろ、と。忘れてしまえ。優しい記憶なんてものは、と。
実際にルルーシュはスザクの意図した言葉選びに気付いた様子もなく、スザクの言葉にすこしだけ表情を柔らかくさせて頷いている。
「そうだな……ありがとう、スザク」
ルルーシュは、スザクの言葉を慰めと取ったのだろうか。
「……きみが笑ってくれて、良かった。そのほうが良いよ、可愛くて」
「可愛いって……スザク」
ほんのり紅く染まった頬に、どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろう。今更、どうしてこんな、心にもないことを喋ってしまうのだろう。
「きみは難しい顔を良くするけど……似合わないと思う、よ」
「どうしたんだ、スザク」
きょとんとした表情は幼くて、スザクの方こそ忘れておきたい色々なものが蘇ってきてしまう。色々な―――罰を受けるはずのルルーシュが、都合良く忘れてしまったもの。
「―――……笑ってた方が、ずっと良い」
護衛の任務を受けたからには、少なくともユーロ・ブリタニアに居るあいだはずっと行動を共にすることになるのは確実なのだから、友好関係でいた方がきっと良い。
自分の中でそう折り合いをつけたスザクは、しかし意思に反してするすると滑り出る言葉を止める術も無く口を動かす。
するとルルーシュは、スザクの云うことを素直に聞いたということなのか、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「スザクと一緒にいるのは嬉しいから、笑ってるつもりだったんだが。そんなに難しい顔をしてたかな、俺は」
喉が灼け付くようにひりついて、一瞬上手く言葉が発せられなかった。
「―――してた。してたよ、ずっと」
そう、ずっと。
あまりにいろいろなものを抑えこみ過ぎて、思わず目頭が熱くなる。なんて、泣くわけがないけれど。
自分と一緒に居るだけでルルーシュが笑顔になってくれるなら、それだけで良かったはずだったと思うのに。
今はその想いさえ、あまりにも遠い。
「そうか。俺は、何を難しく考えてたんだろうな……せっかく、スザクと一緒に居るのに」
「どうして……」
ギリ、と奥歯を噛み締める。
血の味がした気がした。
「…? スザク?」
「どうして、そんな……」
穏やかな表情で、そんなことを云えるんだ。
ユフィは死んでしまったのに。おまえが殺したくせに。ずっとずっと裏切って、笑顔の裏で何も自分を信用なんかしていなかったくせに。
でも、尊厳も何もかも奪われたルルーシュの今の姿を、ただ、ざまあ見ろと嗤えれば良かったのに。
どうしてそれを、悔しいと思ってしまうんだ。
どうして、今の大人しくブリタニアに従っている状態もやっぱり嘘だなんて、その可能性を期待と共に待ってしまうんだ。
相反する感情を行ったり来たりして何も云えなくなったスザクの迷いを、ルルーシュの呟きが遮る。
「―――やっぱり俺は、おまえに何かしてしまったのか?」
「……え、」
何故、と知らず俯いていた頭をぱっと上げると、その先ではルルーシュが複雑そうな表情をしていた。苦笑しているような、申し訳なさそうな。ルルーシュは表情を上手く扱うから、片目だけでは良く判らない。
初めて、その堅苦しい眼帯を邪魔だと思った。
「……何…を…………」
緊迫したスザクとはまるで釣り合わない笑みをクスリとくちびるの端から零したルルーシュは、片目だけの眼光でスザクを射抜く。
「おまえの様子が、なんだかおかしいから」
「おかしい…?」
スザクなりに描いたシナリオは間違っていたのだろうか、それとも、さきほど思わず、まだルルーシュを信じていたころの感情が言葉として出てしまったのがいけなかったのだろうか。
ルルーシュは戸惑いに揺れるスザクから不意に視線を外したが、その先の台詞が云いにくいということはなさそうだった。すらすらと、まるで本当に台本の台詞を読み上げるみたいにして喋る。
「いつもみたいに優しく声を掛けてくれるけど、ときどきすごく憎いものを見るみたいな目つきで睨んでくることがある。最初は見張っているつもりなのかなと思ったけど、それだけじゃないのは感覚で判った」
云い当てられてしまって、言葉に詰まったわけじゃない。
『ルルーシュをただの餌として観察しろ』という命令に従うには、どういう反応を返すべきかとスザクが迷っていると、ルルーシュはそんなスザクをちらりと見た。
「―――それを感覚で判ってしまうような、そんなことを俺はきっとしたんだろうな。スザクに憎まれるようなことを、きっと。陛下に関してもそうだ。俺が小さい頃に会ったときは、いつもお土産を持って来てくれる優しい父親だったのに」
なんだそれは、と思ったが、とりあえずそれを突っ込むのはさすがに野暮なことだとは思ったので無言で先を促す。
「だが、申し訳ないという気持ちはあるにはあるんだが、何をしたかも判らないのに謝る気にはなれない」
そんな傲岸な態度を、ルルーシュらしいと、思ってしまった。
思ったと同時に、引っ掛かりも覚える。
「おまえから教えてくれる気はないだろう?」
「……」
こくり、と深く頷いて。
顔を上げると同時に、ルルーシュに掴み掛かった。椅子に座っていたルルーシュは驚く様子もなく、スザクにされるがままぴくりとも動かない。
「……どこから?」
「さぁ、どうだったかな」
掴んだ手首を捻りあげようとすると、ルルーシュは苦笑したようだった。
「そんなに睨むなよ。おまえと話しているうちに、段々と、としか云えない」
「……そう」
確かに、どこかの地点で急に変わったということはないように思えた。だがそれを悟らせない辺り、どこから……というよりも、どこまでルルーシュなのかが気になる。
ルルーシュは、スザクがかつて知っていた幼いころのままだったら、こうだったかも知れないというルルーシュだった、ある地点までは。皇帝の知るルルーシュも、つまり同じだったのだろう。
だが段々と、スザクが知るようになった最近のルルーシュになってきていて、しかしそうなると正直、スザクの手には負えなくなってしまう。このまま力で捩じ伏せるのは簡単だけれど、それで屈してくれるのか。
……そんなわけがない、と。思ってしまうところにきて、何故か目の前のルルーシュが、不意に柔らかく微笑んだりなんかするから。
(―――捩じ伏せるのは、簡単だ、とても)
緩く曲線を描いたくちびるが開きかけて、それを塞ぎにかかっても、ルルーシュは大人しくそれを受け入れた。
***
記憶の混濁が起きやすい。
それを聞かされていても、あまりにころころ変わる態度に、その都度合わせてゆくのはなかなか難易度の高い任務だ。
流れ行く車窓の景色を、そんなことを考えながら眺めていると、いつの間にか定期巡回の時刻になっていたようだった。
担当者とひとことふたこと交わし、時間を思い先程の行為の名残が香る個室へと入る。窓を開けて換気ができれば良いのに、と思ったが、考えても仕方のないことだ。
終わった後ぼっと火がついたように真っ赤になって、友人とこんなことになっている状況が判らないと云ったようなルルーシュを落ち着かせるために出ていたけれど、今度は落ち着かせ過ぎたようだ。
「スザク……水、を…………」
今度こそその真意を見定めてやろうと、彷徨う手を暫く眺めていたが、ルルーシュに特に変わった様子は見受けられず……それこそ考えても仕方が無いと、最終的に、スザクは全てをため息に霧散させた。列車の音に阻まれて、その吐息はルルーシュまでにはとどかなかったけれど。
記憶の混濁による不安定な精神状態も、そういつまでもは続かない。それに負けるようなルルーシュならば、もうとっくに生存競争に負けていたはずだった。
「―――きみが、どんなつもりでいようと。この部屋から出たら、きみは陛下から勅命を受けた軍師、ジュリアス・キングスレイだ。陛下の意にそぐわない行動をとれば、容赦はしない」
てのひらで覆うように隠されていた表情は、そのときかすかに笑った―――ような気が、した。
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