この命を構成するものは、憎しみと愛、ただそれだけだ。
いのちレシピ
愛はただひとりのひとへ向けて。そして、ほかの総てのものには憎しみを。
ただそれだけを主成分として俺は立っている。
だと云うのに守るべきものは多くて。この手はとてもとても小さいのに、俺はそれを良く知っているはずなのに、守るべきものは増えていく。
次々と、一体それがなんなのか俺自身でも良く判っていないままに、両手はいっぱいになっていく。
いつの日かそれに押し潰されそうになる日を夢見て、しかしそれは、ああきっと、それはそれで俺はきっとしあわせなんだろうと思うのだ。
「……シュ、ルルーシュ、」
「―――すざく?」
「どうしたの、ボーッとして。いま君、どこも見てなかったよ?」
「見てたさ」
「どこを?」
「さぁ……お前かな」
「……それは殺し文句と受け取っても?」
「お好きなように」
俺は愛なんてひとつしか持っていなくて、かつてはたくさんあったはずのそれは、今ではナナリーに向けるものしかのこっていない。他のものは、一体どこで落としてしまったのか、俺には良く判らない。
あの日、二度目に俺がナナリーだけをのこし後の総てを喪ったあの日に、爆撃と共に燃えてしまったのだろうか。練り歩く道端に蔓延った死臭に掻き消されてしまったのだろうか。ナナリーをおぶる代わりに、無意識のうちに捨ててしまったのだろうか。
なんにしても、それらは最早回収は不可能で、そして俺は、ナナリーへの愛それだけでじゅうぶんにしあわせだったのだ。
他のものへの愛、そんなものがあったことすら忘れてしまっていたくらいには。
だから、スザク。
全部幻想だ。お前が語る愛、そんなものは全部ぜんぶ幻想なんだ。
お前への愛なんて疾うに捨てた。俺が守るものはお前の思い出だけで良かった。お前が思い出のままいてくれたら……
―――俺は、変わらずにお前を存在ごと守ることができたのに。
何故お前は、今そうやって俺の目の前で微笑むのだろう。
「台詞の割に、眉間に皺寄ってるけど」
「地顔なんだ」
「それは知ってる」
「そうか……それは悪かった」
「いたたたたた」
可愛げのない台詞の仕返しに頬をつねってみれば、スザクはあっさりと根を上げた。あまりに弱々しい態度に、途端バカバカしくなり攻撃を弱める。
スザクの頬には、きっかりと赤い痕ができていた。
ああそうだ、こんな風に、だれかに傷跡をのこせれば良いのだろうか。そうすれば俺はもうすこし晴れやかな気持ちで、ナナリーをのこしていけるだろうか。
けれどそれはできないのだ。
俺が傷つけないと誓ったものはナナリーだけのはずなのだが、あの子はとても人の気持ちに敏感だから、迂闊なことはできない。
ナナリーがたいせつだと思う俺以外の総てのものを、俺はやっぱり守らなければならない。俺は俺をのこしてやれないから、代わりにナナリーにたくさんのしあわせをのこしてやらなければならない。
その中にスザクも含まれるのなら、俺もスザクを守るまで。スザクが俺を、俺たち兄妹を愛するのなら、その限りで俺も愛を返すまでだ。
「情けないな。軍人のくせに」
「関係ないよ。ルルーシュとのスキンシップを避ける理由はないしね」
「そうか、お前はマゾだったのか」
やっぱり痛めつけてやろうか。そう思ったところで、スザクを歓ばせる必要もないことに、俺は気付いた。
俺はただ、ナナリーのしあわせを守るだけ、ただそれだけで良い。
だからこれ以上情の湧かないように接すればそれで良いのだろう。
それなのにどうしても昔の感情が甦っていけない。どこまで溶け込んで良いのか、その判断の境界線が曖昧になっていていけない。そうだ、それに、コイツはこんなに人懐こかっただろうか。どうしてもこの雰囲気に呑まれてしまうのだ。スザクが昔のままだったなら、きっと今よりはいくらかは突っぱねることもできただろうに。
複雑な感情を持て余しスザクを見上げると、スザクは情けない表情で、けれどどこか嬉しそうに俺を見ていた。
犬のようだ、と思った。
これから捨てられることを知っている仔犬のような。そんな眼だ。
「ひどいなぁ。何より会話に身が入ってない」
「は?」
「あ、やっとこっち見たね」
「……ずっと見てるわけだが」
「嬉しい台詞だけど、どこか上の空だったよ。会話してる気がしなかった」
「なのに相手してたわけか。随分とお人好しだな」
「上の空だったことについては否定しないところが、全くルルーシュらしいと思うよ」
そういうところが変わってないね、というスザクの呟きが、それこそ上の空に聞こえた。だが俺は何も云わなかった。頷くことさえせず、ただそんなスザクを見つめるだけだ。
変わったのか変わらないのか。
そんなことはどうでも良い。
変わらぬものなどない。ずっとつづく幸福なんてない。
けれどスザクが変わってないと思うのなら、それがスザクの真実なのだろう。そう信じたいなら、そうすれば良い。
けれど俺は変わったし、スザクも変わったと思う。ただ昔の思い出だけが変わらずに今も面影をのこしているので、それを信じたくなる気持ちは判る。
だけど、スザク。
そんな思い出ばかり追い駆けて、夢だけを見ていられるほどには、俺は強くない。夢のない現実は俺たち兄妹に厳しすぎたんだ。
だからきっとお前も昔のままではないのだろうという疑いばかりが濃くて、俺にとって過去は最早救いにもならない。
どうせお前は俺から離れるのだろうし、俺もお前を裏切るだろう。
「その厭味な台詞こそが、お前らしいな」
「……ルルーシュの台詞には、いつも愛を感じられない」
ナナリーにはあんなにやさしいのに、とつづいた嘆きに、当然だと頷き返した。
俺の愛は、ただナナリーに向けるものだけ。他の総てのものには憎しみを。俺の命は、そうやって構成されている。愛と憎しみの割合はそうでなくてはならないし、他の感情は何ひとつとして必要のないものだ。
だから、だから。
「何を云うんだ。これが俺のせいいっぱいの、お前への愛だって云うのに」
そこかしこから湧き起こる愛、そのひとつひとつに理由をつけて、全部ナナリーのためなんだと思い込んで、そうやって俺は生きて行くのだ。
やがて、名前のないままの愛を抱いて、俺は俺の願いのままに死んでゆくのだろう。