珍しく、視ていた夢を覚えていた或る日の朝に。
悟ったのだ。自分の命がもう永くはないのだということを。


ラストプレゼント


心地好いようでもあり、胸が締め付けられるようでもあり。
全く逆の感情の狭間を揺れ動いていた夢の中から、自分を現実へと呼び戻した朝の陽射しは、驚くほど穏やかで優しく。
だと云うのに突き刺すほどの眩しさを感じた気がして、細めた眼はきっと哀しみの所為もあった。


「……どうして、いつもいつも……」


こんな、どうしようもない時にばかり気付いてしまうのだろう。
恨みたいのに一体何を恨めば良いのか判らない。いや、ほんとうは判っているけれど判らないふりをしているのかも知れない。何せ思い当たるふしが多過ぎる。
意識しないまま、咲き乱れた花弁が舞うようにはらはらと涙が零れて来て、けれど一体何に対する涙なのか、自分でも判らなかった。
哀しいのか、悔しいのか、情けないのか、それさえも。
夢の内容は、とても良く覚えている。
ひどい夢だった。そうとしか云いようがない。
だけど辛いばかりでもなかったし、珍しく完結した夢の終わり、自分はとても満ち足りた気分でいることができた。
複雑な心地ではあるが、何より己の感情を確かな証拠として、それだけは間違いない。
それに、何より泣くことは赦されない夢だ。だから今泣いているのは、きっと夢の影響ではない。
―――それなら、と考える。
それなら、もうすぐ命が尽きることが哀しくて泣いているのだろうか?
でもそれも、気付いてしまえば仕方の無いことだ。
何かを恨みたい気持ちは確かにあるけれど、それは単なる感傷であって、不思議と定められた運命そのものを理不尽だとは思わない。

そう……仕方が無いんだ。
過去の自分が犯した、罪のためには。

自分でも可笑しいほど、すんなりと理解することができた。
今の自分がしたことではないけれど、夢の中の自分と今の自分は確かに"同じ"なのだ。
だから今の自分が償わなければいけない。
夢の中の自分、その一度きりの償いでは軽過ぎる。そのために自分はまたこうして生まれて来たのだと思うほど。
それでも理由の見あたらない涙はルルーシュの頬を濡らしつづけ、真っ白なシーツに染みをつくったけれど拭うことはしなかった。
そう、もうすこしで、自分は死ぬ。それは世の摂理の決定事項で、避けることなどできない。何より避けるつもりもない。
だから哀しいとは思わないけれど、こうして涙があふれてくるのは、生まれてから今日まで平和で穏やかに生きてきたこんな自分にもきっと、何かしら思い残すものがあるのだろう。
それを想って、憐れみにしろ悔やみにしろ何らかの気持ちが湧き起こるのだろう。
―――それならば。どうせ回避できぬ定めならば、せめて後悔はしないよう未練は解消しておくに限る。
そう、以前の自分と同じように。
総ての準備を整えてから、死に臨もう。
涙を流すのではなく、微笑みながら死んでみせよう。


今の自分ではない自分の罰を受け入れたのは、スザクを好きだと自覚した、次の日の朝のことだった。





***





「ルルーシュ、入るよー……って、珍しい。起きてるんだね」
「……ああ、カーテンを閉め忘れてしまって」


朝陽が眩しかったんだというベタな云い訳に、しかしスザクは微笑んで頷いていた。
朝から眩しい笑顔だなと思ったが、いつものことなので口には出さない。


「へぇ、良いんじゃない? 今夜からは敢えてそうしておきなよ」
「二度と御免だ。お前が思うほど、気持ちの良い目覚めじゃない」


尤もその気分は、魘された夢に見た光景の所為ではあるけれども。
詳しく語る気はないので、ルルーシュはスザクの視線から逃れるようにして眼を伏せた。
暗い内容の割に異様に光に満ちあふれていたのは、気分の問題だと思っていたけれどまさか単にこの朝陽の所為だろうか。
だとしたら、随分と情けない話だ。悲劇に浸っているつもりはなかったが、突如として崩れた日常に、すこし陶酔はしているのかも知れない。


「でもそのお陰で、今朝はこうしてすっきり起きられたんだしさ?」
「……そうだな。そうすれば、毎朝スザクに来てもらわなくて済むしな」
「……何それ。迷惑だって云いたいの?」
「俺が、スザクにな」
「―――なんだ。それこそ何それ?だよ。僕が好きでやってることなんだから、気にしなくて良いのに」


一瞬だけ尖ったスザクの気配はすぐに柔んで、僅か苦笑したような表情で首を傾げていた。
いつもカーテンを開けて朝に弱いルルーシュを起こすのはむかしからずっと変わらないスザクの役目で、だからルルーシュが既に起きている今日はスザクの仕事がなくなってしまったわけだけれど、いつもの習慣なのかスザクはベッド脇の窓に歩み寄って来た。
確かにルルーシュは今朝はスザクに起こされるまでもなく自分で眼を覚ましたのだが、未だベッドに入ったままだ。上半身だけ起こして、ただ薄いレースのカーテン越しの窓を見ている。
そんなルルーシュの様子に気がついて、スザクはルルーシュの正面に回り込み首を傾げた。


「あれ……ルルーシュ、もしかして泣いてた?」
「ああ、バレたか」
「え、ちょっ、どうしたの?」
「いや、夢を見て、それで」
「なんだ、夢か……」
「なんだとはなんだ」
「だってルルーシュが泣くなんて珍しいからさ。そんなに哀しい夢だったの?」
「いや、どうだったかな……。あんまり良く覚えてないんだが、別に哀しいばかりでもなかったよ」
「じゃあ、嬉し泣き? それこそ珍しいね」


泣いている理由なんで自分でも判らなかったが、さすがに嬉しいわけではなかった。と、思う。あまり自信はない。だから今は曖昧に微笑んでおく。
仮令スザクがそれを夢としか認識しないとしても、ルルーシュは視た内容を一欠片も話す気はなかった。
これは最期の日まで、大事にルルーシュの中にとっておくことを決めた。
理解されるかされないか、そういう問題ではない。
ただ、せっかくの穏やかな日常に影を落とすことはないだろうと思ったのと、話したところで変化などあるはずもなし、何ら意味はないからだ。


「さぁ、起きて。せっかく早く起きられたんだから、今日はちゃんとご飯を食べてから行こうね」
「ああ、そうだな」
「え、」
「なんだ、自分から云い出しておいて驚くとは。失礼なヤツだな」
「いや……だって、いつもは水分すら渋るくせに。ホントにどうしたのルルーシュ?」
「別に、俺だってそんな気分になることもある。……良い朝、だからな……」
「ふうん……? 確かに天気も良いし、君の目覚めも良さそうだけど」


何処か納得の行っていない様子のスザクに、変化を悟られないよう鬱蒼と微笑む。


「まぁな。それよりさすがにそろそろ着替えるから、先に下降りててくれ」
「うん……ホントに来るんだよ? 二度寝しちゃダメだからね? なんなら着替えも手伝うけど、」
「莫迦。……ちゃんと行くよ。しっかり眼も覚めてるしな」
「うん、そっか……。判った。じゃあコーヒー煎れて、ナナリーと待ってるから」
「ああ、よろしく」


スザクの優しさはむかしからずっと変わらなくて、当たり前だけれどルルーシュが大きな決意をした今朝も全くいつも通りで、その温かさに途切れたはずの涙が再び出て来た。
その笑顔を、あまりにも大切に思い過ぎていると唐突に気付いたのは、ほんの一日前のことだった。
別に何かきっかけがあったわけではない。
ほんとうに突然、直感の閃きがあって、スザクの笑顔に魅入られたのだった。


(そうだ……ほんとうは、)


お前と一緒に生きたかったと思ってしまうのも確かなんだ、スザク。
その決意を、前の晩にしたばかりだと云うのに。
想いを告げるかどうかはともかくとして、親友としてでも、単なる幼なじみとしてでも、何でも良いからずっとスザクの側で、スザクの微笑みが見られる場所に居続けたかった。


(そうか、この涙は……この所為か)


だけど今朝の夢で、それが叶わぬことと思い知った。
スザクとなら生きたいとは思うのだけれど、どうせ自分はどんなに悪足掻いたって前の自分と同じ日に、きっとあまり良くない原因で死んでしまうのだろう。
そのことには不満はない。
そのふたつの想いは相反する感情のようでいて、ルルーシュの中で確固たる真実だった。
スザクと共に生きたいという想いと、罪の報いを受けようという想いと。
だけどそれ以上に云える確かなことは、スザクを巻き込むつもりは毛頭無いということだ。むかしも、いまも。
罰を受けるのは、総ての元凶であるこの己ひとりで充分だ。
そのために、またこうして生を受けた。以前と同じ存在に愛され、そしてそれをいつしか自分から切り捨てねばならない罰と共に。
だから―――だから。


(せめてお前が、傷つくことのないように)


こんな意地っ張りで可愛げの無いルルーシュの、いつも一番近くに居てくれたスザクが、ルルーシュが死ぬことで哀しむことがないように。すこしずつ、すこしずつ、今のうちから離れて行かなければならない。
ルルーシュの哀しみなんて、どうせすぐに消えてしまうものなのだから気にしてはいけない。
大事なのは、スザクの意思と、それから、今も変わりなく大事だと思う妹のことだ。それから、以前の罪に及ぶたくさんのあたたかなひとびと。
そう……あの日の罪が、そのために被る罰が、スザクや妹、その周囲にも触手を伸ばすのならば尚更に。彼らは生きなければならない。
この魔王が消えた世界で、どうかどうか穏やかに、倖せに。
今はただそれだけを願い―――祈る。



Arrivederci.