「なぁ、魔女はギアスの他に、一体どんな魔法を使えるんだ?」 それはなんの前触れもなく、その話題を彷彿とさせる兆候もなく、ほんとうに唐突で、しかし静かなルルーシュの突然の問い掛けだった。 そのあまりの内容に、C.C.は暫し目をぱちくりとさせる。 「なんだいきなり。お前にもそんなリリカルなことが云えたのか」 自分を驚かせた報復を多分に含んだC.C.の台詞に、しかしルルーシュは全く動じずに窓の外を見つめていた。 外には、敢えて云うなら何もない。いつもと何ら変哲の無い、アッシュフォード学園の庭だ。けれどルルーシュには壊れ逝く世界にでも見えているのかも知れない。 だがそんな感慨はいまはどうでも良く、質問をしておきながらこちらを見ないというのはどうなんだ、という不快な気持ちの方が大きかった。 「俺は元から少女趣味だよ」 「……そうか。知らなかった。それではルルーシュ、今まで世話になったな」 表情だけ物憂げで、見かけだけを云うのなら耽美だが、なかなかの問題発言だ。 C.C.は思わずひき、そんな気持ち悪い男と一緒に居られるかと思ったがルルーシュはそんなC.C.を見ないままにくすりと微笑んだ。いつものような悪どいものでも厭味100%のものでもなく、妹の前でだけ見せるような優しいものだ。 「鳥と話ができて、いつも女の子の勇者が活躍する物語を俺にせがむナナリーと、猫と話ができて、一日の大半をお花畑で過ごすユフィ。そんなふたりと一緒に過ごせば、男でもリリカルに育つだろう」 まるで妹の前に居るような笑顔だと思えば、ほんとうに妹の話だ。全く期待を裏切らない男だとC.C.は思った。 だがその話の意味するところは判るような気がしたので、なるほどと頷いた。 一緒に遊ぶだけではなく、甘やかして云いなりになっていたからこそ今のお前が居るのだろうと思ったが、云わないでおいた。 C.C.なりの優しさだ。そう思いたいなら思うが良い。 「それで、この私に対しリリカルに魔法ときたか」 「魔法が使えるから魔女なんだろう? 女の子の夢だな」 「お前の、というわけではないんだな」 「夢ではないな。もしあるなら縋りつきたい気分ではあるが」 夢は縋るものじゃないだろう、という注釈があまりに彼らしかったので、C.C.は嗤った。 そんなルルーシュだからこそ、たったひとりのために世界さえ壊せるのだろう。 結果主義と云いながら、その過程にはいつも己の手を加えていた彼が今更一体何を魔法なぞに縋ることがあるのか。純粋に、興味が湧いた。 これで大したことなかったら笑い飛ばしてやった上にピザを要求しよう。 どうせ大したことなどないだろうから、ピザは確定だ。良い大義名分ができた。 「世紀の大犯罪者がリリカルに魔法に頼るとは、なかなか面白い。話してみろ」 「叶えてくれるのか?」 その瞬間漸くC.C.を振り返ったルルーシュの瞳が、ほんの僅かではあるが真実縋りつくような色をしていたので、C.C.は驚いた。これでまるで信じてない瞳だったら興醒めだっただろうが、さすがにそんな真剣とは思わなかったからだ。 「聞くだけだ。既にお前にはギアスの力を与えたしな」 「……だろうと思った」 「良いじゃないか。たまにはのんびり私と会話を愉しもうという気はないのか?」 「お断りだ」 「聞かなければ私にできるかどうかなど判らない。それに、気が向けばやってやらないこともない」 「お前の興味はピザだけで惹けそうな気はするがな」 「買収は嫌いだ」 C.C.が意外に(愉しむ方向に)乗り気なことに気付いたのか、ルルーシュはつづけようとした反論をぐ、と押さえつけた。 そしてまた窓の方を振り仰ぐ。今度はこっちを向かなくても厭な気はしなかった。 「話す気になったか?」 「別に……」 「なんだ」 「たいしたことじゃない。総てを終えた後の話だ」 「ああ、そのことか。私の願いは忘れていないだろう?」 「もちろんだ。契約だからな、その辺を違える気は無い」 「なら良い。それなら、お前がどうするのかという話か。それで? お前はどうするんだ?」 「そうだな……」 遠い目をしている。 己の身の振り方を考えているのだろう、気持ちは判った。きっとC.C.も、同じような目で意味もなく景色を眺めたことがあっただろう。良く覚えていないが。 「何を云い渋ることがある。―――お前はナナリーをひとり遺し、消えるつもりだろう?」 ルルーシュの話のペースに任せていたら進まない気がしたので、C.C.は先を急かす意味で先手を打った。 するとルルーシュは面白いほど食いついてきて、ギン、と音が聞こえそうなほどの視線でC.C.を見遣る。駄目押しに違うのか? と笑顔で首を傾げてやった。 「違う。ナナリーはひとりになどしない」 反論すべきはそこか。 ……ほんとうに、だからこの男は面白い。 そんな返しが来るとは思っていなかった。 そして同時に思うのは、ルルーシュの決意がC.C.が思うよりもずっと固いものである、ということだ。最期の瞬間、それに関してだけ云うならば。 「だが枢木スザクは、お前たちから離れただろう?」 「別にあいつが総てではない。きっと、ナナリーにとっても」 「ああ、ナナリーの総てはお前だものな」 「……だから、たくさん、たくさんナナリーには遺してやらないと」 「お前の代わりに? じゃあ何か。ナナリーに魔法で操って遺したいものでもあるのか?」 だとしたらほんとうに興醒めだ。 けれどルルーシュはそれこそ呆れたように嗤うと、今度はちゃんと身体ごとC.C.に向き直る。 「いいや―――寧ろ逆だ」 「逆……?」 「そう俺という存在の記憶を……消して欲しいんだ。できるだろう? 俺のギアスでもできたし、何せあの男のギアスもそうだった」 それを与えたのはC.C.でない。だがもちろんそのギアスがあるくらいなのだから、理屈で云ってできないわけじゃないという結論に達するのは仕方の無いことだった。 「私が云うのもなんだが……」 「ああ、なんだ?」 「確かにできないことはない。が、絶対ではないぞ。しかも人ひとりの存在ともなれば必ず綻びは出る。実際、お前だって取り戻したじゃないか」 取り戻した場合、恨みはきっとその術をかけたC.C.よりもルルーシュへと行くだろう。それで良いのか? と、云ったつもりだった。 けれど今更恨みを気にすることもない、ということだろうか。 「ああ、だから、魔法だと云っただろう?」 「……なんだと?」 どうやらルルーシュの云う“魔法”とは、ギアスとは違うらしい。確かにギアスはC.C.のような存在が人に与えてこそ働くものだ。けどルルーシュは、その力をC.C.に行使させようとしている。漸くそのことに気付いた。 「まぁ、魔法と云うよりは呪いなのかも知れないが……」 「呪い?」 「そう。まるごと消す必要は無いんだ。すこしずつで良い。みんなの中から俺が段々薄れていって、それで最後には、」 「消滅、というわけか」 「ああ」 「結局まるごと消えるわけだろう。何が違うんだ?」 「まず違和感がない。だから成功率が高い。人は忘れる生き物だからな。俺はナナリーが住みやすい世界になればそれで良いんだから、それまでに俺がしたことなど忘れてしまって構わないわけだが、シャーリーの例もあるし」 「それだけか? 自覚があるのかないのかは敢えて突っ込まないが、お前の存在は人によっては時間が解決するものではないと思うぞ」 「―――だからさ。忘れられないにしても、時を経ればきっと決着はつく。俺は記憶を書き換えられていた間、何か焦燥感のようなものがあった。その正体までは判らないまでも、このままで良いのかという想いが」 「まぁそうだろうな」 「だろう? だからただ単純に俺の記憶を消しただけでは、同じことになるだろう。思い出さないとしても、折角世界が変わったのにそんな想いが遺ってしまうのは良くないから。だから、答えを出すとまでは行かなくても良い。何かしら、諦めでも良いから、自分の力で決着をつけるべきなんだ」 この先を生きて、そして朽ちてゆく人間は。 ルルーシュにしては珍しく感情論ではあるにしろ、判らない説明ではなかった。 「そしてその想いの行き場所を探す頃には、その在処が判らないという寸法か」 「ああ。俺はみんなの納得の上で消えていく。気付かぬうちに欠片も無い。うつくしいだろう?」 「……そうだな。確かに、うつくしい」 ルルーシュの美学はいつも儚い、とC.C.は思う。 けれど美学に拘り過ぎては、見喪うものも多いだろう。 「うつくしくはあるが、残酷だな」 「なに?」 「お前は残酷だよ、ルルーシュ。取っておきたい想いというものもまた、在るだろうに」 「何を人間らしいことを。俺は疾うに感傷は捨てたのさ。だからこれは、俺なりの優しさだよ」 確かにC.C.よりは、ルルーシュの方が人間に近い。だが、今このときばかりは自分の方がよほど人間らしい考えをしているのだろうという自信があった。 「結果的に忘れさせることが、優しさか」 「どうせだれかが想いを向けたくとも、俺はそこには居ない。どんな感情を向けられたところで、俺にできることは何も無い。良い思い出にしろ良くない思い出にしろ、辛いだけだ。それなら、忘れてしまえば良い。その方が、倖せだ」 「それは……優しさと云うより、壮絶な愛だな」 そして既に己の存在が忘れられた世界で、ひっそりとその様子を見守るのか。 己が居ないことで倖せになった世界を、それでも愛すると云うのか。 「そう……俺は世界を壊そうとしているが、その欠片ひとつずつまで憎んでいるわけじゃないさ」 けれどその欠片に憎まれて、そしてお前は消えていく。 それで良いと云って微笑う。 C.C.はどちらも可哀想だと思った。置いていく者にしても、置き去りにされる者にしても。ルルーシュがその願いを叶えようが打ち捨てようが、だれひとりとしてC.C.から見た倖せに当てはまらない。 「なるほどな……それは確かに、難しい。繊細かつ壮大だ」 「だろうな。まぁ、叶えられるとは思ってない。どうせ俺は憎まれて憎まれて、けれどそれを生きる糧にされていくのだろう。俺は別にそれでも構わないんだが、そんな生き方はして欲しくないのにな」 「なんだ。ほんとうに話しただけか」 「お前が話せと云ったんだ。それに、簡単には叶わないからこそ、人は魔法に憧れるんだろう?」 初めからそのつもりだったのか、それともC.C.に打ち明けたことで落ち着いてしまったのか、ルルーシュの瞳は既にすっかり諦めきった色をしていた。 本気で思っていたわけではないのかも知れない。 縋っているように見えたのは、C.C.がそうあって欲しいと思ったからだろうか。 けれど実際、そんな何もかもを諦めるよりは縋れば良いのに、と思う。貪欲ではないがちっぽけというわけでもないルルーシュの願いを、C.C.はC.C.なりに気に入った。 「馬鹿め。簡単に叶わないものは、魔法ではなくて奇跡と云うんだ」 「魔女にとってはそうなるのか」 「どうとでも受け取れ。それに私は難しいとは云ったが、できないとは云っていない」 「だがどうせ、お前がやるかどうかは別問題だろう」 「その通りだ。まぁ良いじゃないか。餞別代わりにそんな気になるかも知れないし」 「確証のないものは嫌いだ」 「ほう? その割に魔法に頼るのか」 「できそうもないことだから、もしできるとしたらそれは魔法なのかと。なら魔女であるお前にならできるのかと思っただけだ」 「……単純な思考回路だな」 「悪かったな。リリカルなんだ」 「悪くは無い」 そう、悪くない。 そんなルルーシュだからこそ、その願いをそのまま叶えるよりは、もっと多くのことに気付けば良い、とC.C.は思う。 ルルーシュ自身が気付こうともしない、多くのことに。 だからそれを教えてやろうとするのは、C.C.なりの優しさだ。ルルーシュにとっては残酷なのだろうが。 「そう、できないこともないが……実際、魔法と云わず時間と人の毅さに賭けるという気はないのか」 「だから、確証のないものは嫌いだと。それに、何もしなくても俺は居ないんだから記憶や想いは薄れては行くだろう。だが完全に消えるというのは無理だ」 「何故そこまで消えることに拘る。恨まれても良いんだろう?」 「それはもちろん覚悟してる。だが、そんな恨まれるような兄を慕っていたナナリーが可哀想だ」 「……お前は結局そこに行き着くのか」 「俺の愛はナナリーだけにあって、俺に愛をくれたのはナナリーだけなのだから仕方無い」 「そう思うならせめて何か遺してやれないのか」 「だから、俺以外にナナリーを愛してくれるものを遺そうとしてるだろう」 「それ以外にも。お前の存在が大きい者たちに、だ。お前が世界から忘れられてしまうにせよ、恨まれつづけるにせよ、心の支えになるようなものさ」 ルルーシュが見ないふりをする多くのもの。 あれだけ多くの想いを秘めた瞳で見つめられてばかりいるくせに、ルルーシュが鈍感なのはたったひとりにだけあまりにも真っ直ぐな所為だろう。 そのたったひとりであるナナリーでさえも可哀想だとC.C.は思うが、ルルーシュがこうして振り返ろうとするときに名前さえ出てこない者達などは実に憐れだ。 もしそれを、ルルーシュ自身気にしてはいるのに気付かないふりをして押さえつけているのだとしたら余計に。 「そんなことをしたら、余計に忘れることなどなくなるだろう」 「案外逆かも知れんぞ? そっちに縋ってお前自身から意識が離れるかも知れない。他に大きな存在となる得るものを遺して行くというのも手だ」 「……一理ある、気はするな。だが、形のあるものを遺すなんて、そんな傲慢なことはしたくない」 「何にしても、もしもの話さ。もしそうなら、お前は何を遺す?」 それは純粋な興味でもあった。 さすがのC.C.でさえも何か遺してやれと半ば呆れ加減に思わざるを得ないルルーシュの潔さは確かにルルーシュらしくはあるのだが、そんなルルーシュが一体爪痕以外に何を世界に遺すと云うのだろう。 「そう云われてもな……考えてもみなかった」 「愛にしろ憎悪にしろお前の存在が大きいほど、例え時間を経たところで喪失感は薄れるわけじゃないだろう。心の支えは必要さ。気休めだとしてもな」 「ほんとうに今日のお前は人間らしいな、C.C.」 「私にだってそんな気分の日もある」 「そういうことにしておこう。だが、遺すと云っても、気付いてみると俺の代わりになるようなものなんて何一つとしてないんだ」 「どれだけ俺様なんだ、貴様」 「は? ……ああ、違う。逆だ、逆。どんなものでも俺ほど厄介なものはないだろうから、心の支えになどなりようがない」 「……それはそれで自意識過剰にも思えるが」 「あくまでも遺す気はないんだ。俺が望む世界になったのなら、俺が居た証などは必要無い。そう、俺が遺すのは俺が変えた世界だけで良い」 「……強情だな」 「なんとでも云うが良い。……ああだけど、意思、くらいは良いかも知れないな……」 「―――意思?」 「俺が遺して行く世界で、皆が俺を忘れて行っても、俺が目指した優しい世界だけは消えないように。それを目指した俺の意思だけは、だれかの記憶に引っ掛かっておいても良い」 「……寂しくないか?」 それはあまりにも自分に似合わない台詞だと我ながら思ったが、C.C.は問い掛けずにはいられなかった。 ルルーシュがすくなからず寂しそうなり切ないなりの表情をしたなら何も云わなかったが、彼の表情はあまりにも凪いでいて、むしろ嬉しそうでさえあり、それが逆に痛々しかった。 けれどルルーシュはそんなC.C.の問い掛けに、さらに嬉しそうに微笑むのだ。 「何を云う。そんな倖せなことはないだろう。俺はもしかしたら世界で一番倖せ者だと思えるくらいだ」 驚いた。 なんでひどい答えだろう。 人を思いやっているつもりでいて、ものすごい自分勝手だ。ほんとうに何て男なのだろう。 「……お前がそう思うのならそれで良いが、気に食わないので私はお前の願いを勝手に叶えてやることにした」 「は?」 「契約外だが、魔法をかけてやるよ」 「なんだ、いきなり」 「気に食わないと云っただろう。私はいつの間にかお前に嫌がらせをするのが趣味になっているんだ」 「……厭な趣味だな」 「自覚はある。だから云ってみろ」 「……何を」 「お前の意思を遺すとしたら、それはお前以外にどんな形になるんだ?」 「どんな、って……」 「それを象徴として遺してやる。どうだ、最高の嫌がらせだろう?」 「……最悪だ」 「そうだろうそうだろう。さぁ云ってみろ、10秒以内だ。さもなくば、世界中の者がお前が忘れられないよう呪いをかけてやる」 「ちょ、待て!」 「待たない。どうせ考えたことくらいはあるんだろう」 半ば確信を持ってそう云ってやれば、期待通りルルーシュは大人しくなった。 敵わないと悟ったのか、やっぱり縋りたかったのか。最早C.C.にはどうでも良かった。 だから10秒と云わず、ルルーシュが自発的に話始めるまで待ってやる。 ルルーシュはやがてぽつりぽつりと話し出した。まだ渋っているような口調ではあるが、話す気はあるようだ。 「……お節介だな」 「嫌がらせだ」 「それならそれでも良いが……そうだな、云うだけなら、タダか」 「有言実行のお前が珍しいな」 「お前が云えと云ったんだろうが」 「まぁな。だが残念ながら、口に出したら自動的に叶ってしまうのさ」 「……それは、慎重にならないといけないな」 「そうだ。良く考えろよ。必ずお前が世界から姿を消すと同時に、それが世界に現れる。若しくは、お前が消えてもそれは残る」 「絶対か?」 「絶対だ」 「そうか……ほんとうに最高の嫌がらせだよ、C.C.」 「まぁな。あいつらがそれをお前の代わりだと思うのか、それとも何ら関係無く扱うのかはお前次第だ。最後にそれくらいの選択肢があっても良いだろう」 「お前なりの親切心か?」 「そう、私なりの優しさだ」 「そうか。それなら……そうだな。愛しやすい、ものが良いかな……」 「それはあいつらが?」 「そう。俺のような、けれど決して俺では在り得ないようなものが」 「ふむ。例えば?」 「かたちはなくても良いんだ。いつかは消えてしまうもので良い。そう目立たないもので良い。静かに愛されながら見守っていけるもの……」 そう、例えば、小さな命で良い――― それはつまりお前も愛されたかったということか? とは、云わないでおいた。 優しさではない。C.C.とて傷つきたくはなかったからだ。 |