LIFE GOES ON.
「ルルーシュ? 何してるんだ?」
―――ジーザス。
キッチンの入り口から掛けられた常より若干低めの声を背後、ルルーシュは深いため息を吐いた。それをどう思ったのか、声の主は音も立てずそのまま普段立ち入り禁止のはずのキッチンに入り込んでくる。振り返らずとも判る。その眉間には深い皺が刻まれているに違いない。
そしてルルーシュの隣に立ち、カウンタに並べられた食材や器材をしげしげと物珍しげに眺めていた。いくらキッチンに入れないからと云ったって、泡だて器を手に取りまるで頭に疑問符を浮べているような表情でいじり始めたときはさすがに驚きを通り越して呆れてしまったが、とりあえず包丁ではないから良いだろうとルルーシュは速攻で判断を下した。キッチンには立ち入り禁止だと、そう声高に叫ぶ存在は今は家の中に居ないから構わないとでも思っているのだろうか。後で絶対チクってやろうとルルーシュは思ったが、同時に今のルルーシュの行いもばれてしまいそうな気がしたので止めておくことにした。
「……コレは?」
「泡だて器。材料混ぜるのに使うんだから、あんまりいじるなよ」
「ほー…。それは、粉?」
「そう、粉だな」
キッチンに居ることがばれてしまったからには仕方ないが、ここまで物を知らなければ何だか色々と大丈夫かも知れない。時間もないことだし、ルルーシュは構わずに薄力粉を粉振るい器にかけた。がしょがしょと音を立てるソレを、隣の人物は心なしか目をキラキラさせて見入っている。
なんだか、ちょっと、可愛いかも知れない。
「何をつくってるんだ? この時間からキッチンに立つって珍しいな」
「ああ、まぁ……」
「粉、卵、あと……バター? これから何ができるんだ?」
他にも色々と並べられているのだが、正体が判らないのか総てスルーされた。料理などしたこともなければ、出来上がったものしか見たことがないのなら当然なのかも知れない。だが純粋に知りたいというわけではなさそうだ。わくわくしている口調ではあったが、そっと窺った目は据わっていた。
判ってるなら訊くなコノヤロウ。思ったが、口に出したが最後、強制的にキッチンから連れ出されてしまうことは明白だ。
「この材料からできるものと云ったら、焼き菓子しかないな」
だから素知らぬふりをして作業に没頭する。どうせバレているのなら、せめて説教はつくり上げてからにしていただきたい。
だがとりあえず問い詰めておきたいのか、ついさっきまでは目を輝かせていたはずのルルーシュの手の動きを、己の手で腕を掴んで止めるという行動で妨害してきた。
「……ゼロ、」
「なんでまたいきなりお菓子を?」
「……たまには良いだろ」
「それは、ルルーシュの手づくりのお菓子は美味しいから嬉しい。もちろん私のための、ならだがな」
そんなにルルーシュの口から云わせたいのだろうか。だがどうせ云ったら云ったで怒るなり拗ねるなりするくせに、と思ったルルーシュはとりあえずゼロの拘束からやんわりと抜け出し抵抗を試みた。
「……ナナリーが、」
「ナナリーが?」
「この前、メイドと一緒につくったとかでクッキーを送ってきてくれただろう?」
「ああ、私はロロが五月蝿くて食べられなかったが」
「まぁナナリーがつくったとは云え材料は判らないし、配送の段階で何が起こるか判らないんだから仕方ないだろう。代わりにゼロには自分でつくったんだというプリザーブドフラワー贈ってくれたじゃないか羨ましい。ナナリーが判った上で気をつかっているんだから、お前も自分の立場を自覚しろ」
「してるからルルーシュのつくったものしか食べないんじゃないか」
「それはそれで問題だけどな……とにかく、それで御礼をしようと考えたわけだ」
「御礼? ナナリーに?」
「そう。日持ちするパウンドケーキが良いかなと思うんだが」
ああごめんナナリーだしにして……
ルルーシュは心の中で項垂れたが、しかし御礼にケーキを焼くというのも決して嘘なわけじゃないから幾分か心は軽い。それに、これはナナリーによる提案だった。私を云い訳にしてくださって結構ですよ。その代わりと云ってはなんですが、お兄様特製のケーキを私にもくださいね。それから……―――
クッキーが届いたことの報告のために繋いだ通信の向こう側、画面に浮かんだすこし悪戯めいた妹の微笑みを思い出す。我が妹ながら、なんて人の感情の機微に敏感なんだろう。泣けてくる。
「ああ、それでか。パウンドケーキ……」
「折角だから材料を大量に買い込んできたんだ。最近生徒会も忙しいから、おやつにでも、と思って」
「なんだ。私にはないのか?」
「あるよ。当たり前だろ? 一本まるごとゼロの分だ」
「そうか」
ナナリーと、それから生徒会の名前を出して悪いが緩衝材にさせてもらう。そして最後に飴。ゼロは思惑通り、機嫌が良くなってきたようだ。このまま行くべきだろうと判断したルルーシュは、声が上擦らないよう注意しながら口を開いた。
「それで、そう云えば、なんだけど。今日はスザクの誕生日だったから、ついでにアイツにも……」
べきッ、という音が聞こえた。
見れば、今度は木ベラをいじっていたらしいゼロがそれを真っ二つに折っている。いやお前。非力キャラのくせになんてことを。
ルルーシュが内心慌てているのにも構わず、ゼロはそれはそれは低い地に這うような声を出した。
「何……?」
「と思ったんだけど、さすがにそんなにたくさんつくるのは俺も面倒だから、スザクには生徒会のみんなにあげる分をすこし多めにすることで赦してもらおうかな?」
にっこりと。多分普段のゼロが見れば胡散臭いと云ってきそうな笑顔で告げれば、負けず劣らずのニセモノくさい笑顔でゼロがコチラを向いた。
「それでさえ優遇しすぎだ、ルルーシュ。どうせ彼奴は軍だか生徒会だか恋人だかが祝ってくれるだろうからそれ以上に恵まれる必要なんてないさ。誕生日なんてそれで充分だ。だからルルーシュが彼奴に何かしてやる必要なんて、全然、これっぽっちもないんだよ」
「……そうか、そうかもな。じゃあこの分はタルトの土台用にでもしようか。もうすぐお茶の時間だしな。フルーツが結構あるから、何でも好きなのを乗っけてやるよ。中をプリンにするというのも良いかも知れない」
「それは良いな! もうすぐロロも帰ってくるだろうし。新摘みの茶葉を仕入れてくるように云ってあるから、丁度良い」
「この暑い中を買い物なんて……悪いことしたよな。ロロには多めに分けてやろう」
「そうだな。でも私も食べるからな」
「良いよ、大きめにつくるから。それにしてもゼロ、ロロがもうすぐ帰ってくるのなら、このまま此処に居てはまずいんじゃないのか?」
「そう云えばそうだな。ロロにキッチンに入ったことがばれたらまた危ないとかなんとか怒られる」
「ロロも任務を果たそうと必死なんだろう。あんまり苦労させるなよ」
「判ってる。じゃあルルーシュ、くれぐれも……そのあからさまにバースデーケーキ用っぽいホイップクリームをつかって何かしようだなんて、考えるんじゃないぞ?」
「タルト用のプリン生地につかうけど?」
「それなら良い。じゃあお茶を楽しみにしてるから。気をつけろよ?」
「はいはい」
思ったよりもあっさり出てってくれたのは、恐らくほんとうにもうすぐロロが帰ってくる時間だと踏んだからなのだろう。それならばルルーシュも急がなければいけない。ゼロの場合は逆鱗に触れるのはスザクだけだが、ロロの場合はゼロを除いた総ての人間に対しルルーシュが親しくするのを良く思わない節がある。生徒会然り、もしかするとナナリーさえ。
何故あいつはゼロの目付役のはずなのにルルーシュの動向までチェックを……と云うか、寧ろゼロよりルルーシュに懐いている気がする。しかし、下の兄弟はほとんど妹ばかりのルルーシュにとって、あんなに可愛く「兄さん」と呼ばれるのは悪くなかった。だからロロをあんまり怒らせたくない。既に、と云うより真っ先に完成し、とっくに冷蔵庫に保管してあるたったひとりのためのバースデーケーキをさてどうしようかと、ルルーシュは途方に暮れた。
なんとかして渡してやりたいが、このままでは難しいかも知れない。けれど、ルルーシュは折角再会できたスザクの誕生日を何より祝ってやりたいと思っていたし、ナナリーとの約束でもあった。それから、お兄様がつくられたケーキで、私の分もスザクさんにおめでとうございますと伝えてください。なんて優しい子に育ったんだと感動し、ナナリー成長メモリーに刻まれたその記憶をルルーシュが忘れるわけがない。
けれどゼロも云っていたように……今日も軍に居るということは、どうも話に聞いているとアットホームっぽいスザクの部署は誕生日のお祝いくらいしてくれるかも知れないし、今日は休日だが生徒会のメンバーがせめて次の日、と色々準備していたし、そう、それに本人から聞いたことはないがスザクは優しいから恋人くらい居るのかも知れないし……そうするとこのケーキは、どうすれば良いんだろう。
去ったはずのゼロがキッチンの物陰からルルーシュの項垂れた背中を見てほくそ笑んでいるとも知らず、ルルーシュは手だけは動かしながらもぐるぐると考えつづけていた。