まるでシンデレラだと、968番は思った。
久々に動かした筋肉はまた中途半端なところまで高まり、そして熱を発散する場もなく今は収縮を待っている。
実際彼は、上手かった。
ホンキでサッカーの専門研究やってんじゃねーの? くらい上手かった。
だけど968番は、サッカーに限らずスポーツは理論だけでできるものではないということは知っているし、彼の統制された筋肉は実際に身体を動かさないと一長一短でできるものではないし、だが彼のそれはサッカーに特化したものだった。

以上のことから導いた結論は、彼は恐らく、968番と同類だということ。

968番と同じように、ここに馴染めずに、身体を動かしたがっているということ。そして、968番の場合はバスケだが、彼の場合はサッカーというように、好きなスポーツがあるということ。だが別に専門研究というわけではなく、ただ単純にサッカーが好きなのだということ。人影から隠れて、こっそりサッカーボールなんか持ち出して、ときどき息抜きをしているということ。……ほら、彼は同類だ。
もしかしたら愚痴を云い合えるかも知れないというところまでは、彼との試合中に考えた。
その試合が中断されてしまったのは、別に硝子を割ってしまったからというわけではない。そんなヘマをするほど、彼も968番も馬鹿ではなかった。
それに、自惚れでも何でもなく、彼も968番とのサッカーを楽しんでくれていた。もともと運動神経は良いのだ。サッカーだって、一番じゃないにしても好きだ。だから、968番の腕前は彼を大いに歓ばせたことだろうと思う。
だが、それは中断された。しかも、外部の邪魔によって。

悔しい。ものすごく悔しい。何だよあの似非インテリ。白衣のくせに便所サンダルなんて履きやがって。「見つけた!」なんて、大声で叫びやがって。奴ら普段は小声でぼそぼそとしか喋らないのに、こういうときだけ大声とか、訳判んねぇ。せっかく、……せっかく、愉しかったのに。もしかしたら初めて、気の合う奴を見つけたかも知れないのに。

それに、何より悔しいのは、彼の名前を聞きそびれたということだった。

試合が終わったら、青春ドラマ宜しく汗に塗れた笑顔で爽やかに訊いてみようと思っていたのに。自分が負けた場合と勝った場合とに分けて台詞まで考えた。
ちゃんと身体はボールを追いながら、けれど意識は常に彼の方へ彼の方へと向かっていた。初めて見つけた、968番と同じ目をした奴。透き通ってそのまま消えてしまいそうに綺麗で、でもしっかりあの足は地に付いていた。不思議な奴だ。
そして、ボールを追いながらも弾む会話は、968番に期待を抱かせるに充分だった。


「あーあ、アイツ、ちゃんと逃げたかなぁ」


渡り廊下に響いた発見の報告は、実際のところ968番と彼と、どちらに対して向けられたものかは判らない。968番が無事逃げ果せた今でも、まだ。
それでもふたり同時に、ボールから意識を千切ってぎくりと身を凍らせたということは、彼もまた968番と同じように研究室を抜け出してきた身だということだ。一瞬交わされた視線は、自分と同じことを云っていた。そして、その後の行動は早かった。彼は素早く転がったボールへと向かったし(ここでボールを忘れないあたりはもう、彼の執念だろうか)、968番は目晦ましに反対側へ駆け込んで、茂みへと突っ込んだ。
―――その後のことは、968番には判らない。便所サンダルの似非インテリは、報復のためと思いちらりと見てそのまま覚えてしまったけれど、968番と同じ研究室かどうかまでは判らなかった。見たような気もするし、見たことないような気もする。覚える気なんてないのだから今更だ。そもそもこの名前が覚えさせる気を削がせる。

968番。

そう番号で呼ばれることには、もう慣れた。

けれど慣れと納得は別物だと思うので、968番はその番号をもじった四葉のクローバーを、己のアイデンティティとして掲げている。そんなことをしてるから目立つんだ。その自覚はすくなからず在ったけれど、今に関して云えばそれは功を奏したと云えるだろう。
968番、そう書かれた無機質なネームプレートに存在を主張する、四葉を象ったシール。無骨な白をみどりに彩るそれに、彼は気付いただろうか。気付いていたら、きっと、すぐにこの存在に思い至るだろう。





ラボ創始以来の天才少年と持て囃され、どの研究室からも引っ張りだこの、この968番に。