殺人者からの鎮魂歌





























人は二度死ぬものなのだと、誰かが云っていた。
一度目は肉体の死。そして二度目の死は、周りの人間に忘れ去られた時なんだそうだ。
裏を返せば、人々がその死者のことを死んでも尚想いつづけていたのだとしたら、その人は、“生きて”いる、ということになるのだろう。
何て歯の浮くようなセリフなんだろうと思いつつ、心に何か突き刺さったような気がしていたのもまた、事実だ。
死者を想う声が大きければ大きいほど、その人間の存在感を嫌というほど実感することになる。
“生きて”いるのだ。
そして、忘れられた瞬間、それはやっと灰になる。

では、その話が本当なのだとしたら、俺は一体何人の人間を殺しているのだろう?

『肉体の死』というものになら、今までに何度も直面している。
でも俺がその死体を見て思うことは、まず初めに“どうやって”“誰に” 殺されたのかということだ。
弔いの言葉も感情も何もない。

例え知らない人間だとしても、“殺された死体”としてしか見ていない俺は、その人を否定しているのではないか?

隣で泣いてる人がいる。
その人の死を悲しんでいる。
犯人を、憎んで憎んで……早く見つけて裁いて欲しいと、懇願している。

そんなときに、ふと過る。

犯人ならば、すぐ目の前。
そ知らぬ顔して遺族に同調し悲しんでいる振りをする、誰よりも残酷な探偵が居るではないかと。


『職業上、死体を見ることなんてすっごく多いんだからさ、割り切って考えろよ。』


判っている。


『知らない人間なのにな』


……そうだな。


『……お前は、優しすぎるんだよ。』


……そうでもないよ。


『たまには、自分勝手に生きてみな。』


今でもはっきりと呼び起こされて、俺を留めてくれる、快斗の言葉。
優しい? それは違うよ、快斗。俺はとてもとても汚くて、お前の側にいる資格なんて、始めからなかったんだ。
それでも、お前は愛してくれたから。
優しくはなれなかったけど、そんな気持ちを、蘇らせてくれたから。
それなら、俺はお前を忘れない。最初で最後の、自分勝手だ。こうなっても尚、俺はお前の側に居るのだと、そう決めた。
お前は怒る? それとも、またああやって、笑ってくれる?
決して、死なせたりしない。此処で、俺の中で生きろ。
忘れないから。
人の死というものを、もう決して戻ってこないということを、初めて悲しいと思った。死が一体どういうもので、どんな闇を引き連れて俺に襲いかかってくるものなのか、痛感したから。









もう動くことはない、その指に嵌められた指輪に、祈るように、誓うようにキスをした。













わっかりにくい…