Heavenly City





























けたたましい程の朝の小鳥達の囀りに目を覚まされ、新一は眼を開けた。
昨日、己は一体どんな体制で寝てしまったのか。寝たままの体制で上を見上げると、其処には窓があり、清々しいまでの空が四角い窓に切り取られていた。
眼が覚めてしまった今では、騒がしいとまで思った小鳥達の喧騒も今は遠く、直接陽の光の当たらないその北向きの窓からは空の青白い光だけが差し込んでいる。
そんな、ある種完璧とも言える朝の風景……それなのに新一は、何処か苛ついた心持ちで気だるい身体を起こした。
ふと周りに目をやると、見慣れた部屋の風景は驚くほどに無機質だ。
白い壁に白いドア。こんな場所で自分は過ごしていたのかと思う程、何処か物悲しく、まるで他人のように新一を迎え入れていた。それでも此処は間違いなく自分の部屋であって、一体どうしたのかと考えたが、すぐに思い当たって、新一は自嘲的な笑みをその整った顔に浮かべた。


(そっか、快斗がいないからか……)


ただ一つ、壁に下げられたモノクルだけが、ちょっとした生活感を漂わせていた。
このモノクルは怪盗キッドの衣装の一部で、快斗から渡されたものだった。


「ストックなんて山ほどあるからさ、新一がコレ見て、ちょっとでも俺のこと忘れないように」


だから、コレはちょっとした戒め……
そう云って、快斗は笑った。
快斗の思惑通り、このモノクルが目に入るたび、新一は快斗のことを考えずにはいられない。
喧嘩している今だってそうだ。怪盗キッドのモノクル、それが快斗にとってどんな意味を持つのか。父親の形見でもあるそれが、そう何個もあるはずがない。
そのことを裏付けるかのように、キッドは必ず仕事の際にこれを取りに来ていた。仕事の間、その白い壁にモノクルがないだけで不安になってしまうことは、快斗には内緒にしている。
思えば、このモノクルこそが快斗の作り出した自分たちの接点であるのかも知れない。
こんな時にでも快斗のことを考えてしまう自分にちょっと驚いて、そしてちょっと腹が立つ。
此処に快斗がいないのは、昨日の夜喧嘩して追い出してしまった所為だった。いつもの、ほんの些細なことから始まった喧嘩なのだが、どうにも意地の張り合いでここまで来てしまった。最も、今だからこそそんな落ち着いて考えることができるのかも知れない。自分が他人に対してこんなに気持ちが動くことなど初めてと言ってもいいぐらいで、動揺していたのかも知れなかった。
そして目線を移しても、其処にあるのは何処までも冷たい、無機質な部屋ばかり。部屋に差し込む青い光のお陰で、それはいっそう、完璧な空間を作り出していた。
窓を見上げれば、そこには清々しいまでの青い空。どこまでも深い青色に吸い込まれてしまいそうで、何か切ない気分になるのを感じた。いつまで経っても捕えられず、囚われてしまったのは俺の方……


ドク、ン…


突然ものすごい痛みが心臓を襲った。
痛み、とは云っても、それはまるで切り裂くように新一に襲い掛かる。
コナンから戻った今でも、この骨が溶けてしまいそうな痛みは耐えることなく続いていた。小さくなってしまう薬が劇薬ならば、それも戻すのもまた劇薬なのだ。有り体に言えば、理に適っている。
灰原……もとい、宮野志保の話では、当分は身を引き裂くような痛みがあるだろう、ということだ。
体の伸び縮みをこれだけ繰り返しているのだから当然と言えば当然だ。それでも、新一は元の姿に戻りたかった。それは他でもない、あいつの為。それに、痛みは続くけれど今すぐ命に関わるようなものでもない。勿論、安心とは言い切れないが小さい体でいるよりはずっとずっと心にかかる負担は少ない。
他でもない、喧嘩の原因も快斗にこの発作がばれてしまった所為だった。発作が起こること事態には慣れてしまった新一は特に快斗には何も云っていなかったが、タイミングが良いのか悪いのか、発作中に工藤邸へと訪れた快斗は、何故云わなかったと落ち着いて深呼吸を繰り返す新一を責めた。新一としては判りきったことであるし、売り言葉に買い言葉で云い返してしまったのだが……
結局、灰原自身も、危険だ危険だと云い続けた薬を飲んでいる。当然と言えば当然だろう。心はとっくに一人前なのに、それとは裏腹に自分を一個人とすら、認められないのだから。


(ま、あいつとはコナンの時から真っ向に勝負してたけどな……)


そう思って、新一は苦しいなかに苦笑を浮かべた。
そして、目を瞑る。その直前、壁のモノクルを瞳に焼き付けて。
苦しさはまだまだ続くけど、それだけで少し落ち着いたような気になるのが不思議だった。


そうしていつの間に再び眠りについてしまったのか、目を覚ますと、もう夕方だった。先程あんなにも青かった空は、今はもうオレンジに染まりかけている。


「も……こんな時間なのか……」


そう呟き、新一はもそもそとベッドから出た。新一を苦しめた胸の痛みも、もう何処かへと消え失せている。
着替えて軽く夕飯を食べ、テレビを見て寛ぐ。いつもならば至福の時間なのに、何か物足りなかった。それも、隣にあるはずの人物がいないからだと、判っていても新一にはどうしようもない。意地っ張りなのはとっくに自覚済みだ。
それでも、ちゃんとご飯は食べろと口うるさく云う人物がいないだけでこんなにも寂しい気がするなんて。カップをテーブルへ置く音が、こんなにも深く家中に響いてしまうなんて。
もうここへ来ないなんてことは有り得ない。きっと、何でもなかったような顔をして扉を開けてくるに決まってる……
頭ではそう思っても、心の方はなかなか割り切れない。
考える前に、不思議と体は動いた。上着を取り、靴を履いて家を出る。

向かう先はたった一つ。いささか足早にその場所を目指した。
その場所は、もう廃頽したビルの屋上だ。
このビルはもちろん、周りも閑散としていて、辺りに人の気配はない。それでも、何処か落ち着くのだ。この場所は。
此処は、快斗と新一が出会った、始まりの場所なのだから……。本当に出会っただけなら、此処ではないかも知れない。でも、此処で快斗は全てを新一に話し、二人は想いを確かめ合った。
だから此処は、始まりの場所。以来、新一は何かあると一人で此処へ来て、物思いに耽るのだった。


(あいつも、いたらいいんだけどな……)


そう思ってフェンスに寄りかかる。口には、そんなことを考えた自分に対する微笑を浮かべて。周りから見たら、何とも儚げな笑みだろう。
階段を昇るだけで息の上がってしまう身体が、何とももどかしかった。
深い、深い闇の夜空には、煌々と輝く月が浮かんでいる。
新一が呼吸を整えていると、背後でふぁさり、と音がした。それは、余程気配に敏感なものでないと気付くことのない音。
それでも、新一のその研ぎ澄まされた神経はその僅かな音に気付き、音のした方向へと目を向けた。
其処には月光を浴びた、新一の見慣れた人物が立っていた。
月の光に勝るとも劣らない、輝く白い衣装は、驚くほど彼にぴったりだ。
マントは風に棚引いていて、さながら夜に君臨し、闇を操る者のようだ。あまりにも白いその服は、夜空に溶け込んでいて、ぼやけて霞んでいた。

―――――怪盗キッド

人々は、闇に佇み、月の光を従えるこの人物を見てこう叫ぶ。
夜の静寂全てを従えて、彼は新一の前に現れた。月の逆光を浴びている所為で、その表情は計り知れない。知れないが、きっと、冷たい微笑を称えていることだろう……いつものように。
先にその静寂を破ったのは彼の方だった。


「これはこれは名探偵。こんな夜更けに、こんな場所で何をしてるんですか?」


云われて、新一は見惚れていた自分からはっと我に返った。
普段は親友のふりをしている彼らでも、快斗がこの格好をしている時は別だ。敵通しの2人に逆戻りする。


「……お前こそ。今日は予告日でもないんだろ? そんな格好で何してるんだよ」


気持ちを推し量られるのが嫌で、質問には答えずに同じことを聞き返してやる。


「……いい月夜でしたからね。散歩をしてたら、愛しい貴方の姿が見えましたので……」
「そんな格好でか?」
「いけませんか?」
「いや、いけなくはないけど……」


万が一新一のように月夜を愛でる者でも居たとして、その白い鳥を見かけてしまったらどうする気だろう。
眉を顰めた新一をどう感じたのか、キッドはフッと口許を上げて気配だけで笑った。


「……夜の静寂は、全てこの怪盗キッドのもの」
「はあ?」


キッドが云ったことの意味が分からなくて、訝しんだ視線を向けると、思いもかけず怪盗キッドに抱き寄せられてしまった。


「ちょっ……」


その久しぶりの感触が嬉しくて、でも恥ずかしくて、その温かさと、そんなことを考えてしまった自分から逃げ出そうとする。


「だって、新一に遭いに行くのに、変なカッコじゃ行けないだろ?」


そう、熱っぽく耳元で囁かれて、新一は体中の力が抜けるのを感じた。


「俺今日さ、新一に遭えなくて、すっげー寂しかったんだぜ?」
「え……」


キッドの、新一を抱きしめる腕に力がこもる。


「謝るのは癪だけど、遭えないのはもっと嫌、だからさ……」


自分もだ。本人を目の前にすると、思いもかけず素直になってしまう自分に驚く。


「うん。俺も……もうずっと来てくれなかったらどうしようって、そればっかり考えてた」
「新一……」


素直に言ってくれたのが嬉しくて、俯きながら恥ずかしそうにそう告げる仕草が可愛くて、軽くキスをする。それだけで新一は真っ赤になった。


「ちょっと驚かせてやろうと思って、キッドの服着てきたらさ、新一の姿が見えるんだもん」
「…よく判ったな」


驚かそうとしたのは、それだけ遭えなくて寂しかったことへの意思表示か、それともただの自惚れか。どちらにしても恥ずかしかったので、ぶっきらぼうにただそれだけを答えた。


「判るに決まってるだろ?」


あんなに、月夜の中にいても輝いている新一の姿なんて、見えない方がおかしいんだよ。
それは、心のなかで。
そして、2人で声を揃えて云う。


「「ごめん、な……」」


示し合わせたわけじゃないのに、そのぴったりなまでの息に、2人して噴出す。それが何とも云えず幸せで、キッドは何度も、じゃれあうようなキスをした。


「でも、これだけは判って。俺は新一が心配なんだよ」
「心配するようなことなんて……」
「新一は大丈夫だって云ってたけどさ、新一が俺の居ないところで苦しんでる、それだけでも俺は自分が赦せないんだ」
「……判ったよ」


快斗の突き抜けるような甘い優しさに、新一はどう反応して良いが判らずただ顔を俯けることで答えた。


「もう、離さない」


そんな新一を抱く腕にますます力を入れて、確かにこの腕の中に愛しい人がいることを実感する。
手放すわけ、ないだろう?
やっとの思いで手に入れた、俺の宝石だ。
本当は、とっくに囚われてると云うのに……
こんな想いを、この鈍感な恋人は気付くことなんてないのだけれど。今が幸せ。それで十分。
きっと、新一もそう思ってくれていることだろう。













コレ書いたときの己の精神状態がわりと謎なカンジです。
血反吐はきそう…